◆スコットランドを語る会 活動報告 2023年◆
【第105回】 2023年11月24日(金)18:00〜 参加者12名
発表者:小湊清光さん
テーマ:「スコットランドと日本のラグビー」
エリス銅像
ラグビー校の前の通り
ラグビーの起源は、1823年イングランドのパブリックスクール、ラグビー校のウィリアム・ウェブ・エリス青年がフットボールの試合中にボールを持って走り、新たなスタイルでゲームを始めた逸話がラグビーの起源とされています。本年2023年はラグビー起源の200周年です。ラグビーワールドカップの優勝カップは彼の名を残してエリスカップとされ、1987年第1回のWCが開催され、今年のフランスで開催された第10回大会では南アフリカが4回目の優勝を飾りました。
スコットランドのラグビーの歴史
1871年最古の国際試合 Scotland対England
1873年Scotland協会設立
1879年England対Scotland戦はカルカッタカップとして129回対戦しScotlandの42勝71敗16分
1883年Scotlandは7人制ラグビー発祥の地となる。2009年7人制ラグビーはオリンピック正式競技になり、2016年リオデジャネイロオリンピックで男女開催されました。
RWC(15人制)Scotlandの記録は、1991年第2回と2015年第8回準決勝まで進出しています。 日本のRWCの記録は第1回〜8回迄予選敗退。ただ8回大会では強豪南アフリカに34―32で勝利するも、Scotlandに10―45で予選敗退しています。2019年日本で行われた第9回大会でScotlandやIrelandに勝利して決勝トーナメント進出したのは記憶に新しいです。
右・ベン レフリー
日本対スコットランド
日本とScotlandの公式対戦記録は13戦して日本の2勝11敗ですが、1989年秩父宮で当時の宿沢ジャパンが28―24で日本が勝利した試合は、同時期に英国代表の南半球遠征に多くのScotlandの代表が選ばれていた為、Scotland協会としてテストマッチとは認められていません。
小湊レフリー・左上、1992年12月
大学選手権 明治対中央(秩父宮)
私は小山台高校でラグビーを始め、高校時代東京都3位となりました。大学、社会人とラグビーを続けましたが、大怪我をして24才からレフリーの道を歩みました。私の経営する山小電機製作所の親会社の依頼で米国と英国、Scotlandへ派遣され、Cumbernauldで沖電気のプリンター工場の立ち上げで約1年滞在しました。現地でもレフリーを担当したおかげで日本に帰国してから日本協会公認となり、大学選手権や社会人大会のレフリーを担当いたしました。
中央左・ベン レフリー、中央右・小湊レフリー
ゴルフ場にて
2020年迄日本協会の審判委員として主にリエゾンとして来日レフリーのお世話をさせていただき、2019年日本RWCではScotland戦を担当したニュージーランドのレフリー、ベン・オキーフをオフの時間にゴルフに3週連続でアテンドさせていただきました。他の各国のレフリーとも非常に親しくさせていただきました。
(文と写真:関東社会人ラグビーフットボール連盟審判幹事 小湊清光)
【第103回】 2023年7月25日(水)18:00〜 参加者17名
発表者:岡田昌子さん
テーマ:「90年を振り返って」

90という節目の歳を迎え、越し方をスコットランドと関連付けてお話し申し上げる事になり、個人史にお聞き頂く程の価値が?と心許ないのですが、何卒お許しを。
お話をされる岡田昌子さん
(撮影:國田あつ子さん)
現在は、本職の絵の仕事の他はScottish Country Dance(SCD)に殆どの時間を過ごしている私ですが、かえりみると人生の岐路に立つ度に、殆ど自分で選んだのではなく導かれるままに歩んできた道が全てここに通じていたと言う、運命的なものを感ぜざるを得ないのです。
スザンナ・ライカーさん
ライカーさん宅のダンス仲間
小学校時代体力が極端に無く、担任の教師から親への勧めで、児童舞踊団に通う様になりました。高校に入るとバレエを目指して小牧バレエ団に。高校二年から、体育教師大崎秀樹先生のお供で、当時GHQの招きで来日中の、日本銀行監査・東大大学院経済学部教授スザンナ・ライカー女史の元で、International Folk Dance(IFD)を学ぶ事に。ここで初めてSCDと出会う。その後YMCAのIFDクラブ設立と同時にライカー女史の助手を務める。
岡田さんと大崎先生
高校卒業後バレエ教師をするも、職業としては成り立たず、上記大崎先生の体育科助手として長野県立女子短期大学に赴任。4年間勤務の後帰京して体育大学生に。卒業後、大学を断り東京に留まり区立中学の体育教師になる。これらがSCDへの道であった。
日本で池間さんとS.C.D.を初めて間もない頃
下目黒小学校にて
YMCA仲間池間氏がニューヨーク大留学から帰国、Royal Scottish Country Dance Society(RSCDS)の正規のダンス教育を、日本で共に始める事を誘われたからである。これを第一歩として、日本のSCD活動は発展を遂げてきた。
絵のお仕事の展覧会
個人的にはこの間に美術学校へ行き、商業デザイナーになり、絵本とイラストレーションの仕事を続けて来た。
1975年エリザベス女王来日記念に、スコットランドからBill Clement氏、翌年はMary Brandon女史を招く等活動も国際化し、私も1977年にはBrandon女史の招きでRSCDS教師試験の予備試験を受け、試験官であったRSCDS創設者のMilligan女史から合格を祝う“My daughter”のハグを受ける事が出来、更にその後日本人として初めて本試験を受け教師資格を取得した。この後、SCD活動を通して沢山の知己を得て、国内外の公的なイベントで活躍する機会にも豊富に恵まれ、さらにJSSの創設時には参加も叶い、現在に至っている。
2007.11.3
Scroll of Honor授与
RSCDSからS.C.D.の発展に寄与したとして
この辺りまでお話した時点で、ほぼ一時間が終わってしまいました。不思議なご縁から、氏族の血は一滴も持たない私が、正式にScotlandのMacDonald一族の一人と公認され、更にMacDonald USAにも迎え入れられた事。JSSを始め日本の4団体の為にTartanを、デザインした事。2007年には、SCDの発展の為に功績があったとして、RSCDSから世界で年に数人選ばれる Scroll of Honorを授与された事等々その他にもお話したい面白い出来事が未だ沢山ありますが、時間の関係で割愛させていただきました。
ご出席の皆さん
(撮影:國田あつ子さん)

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