◆スコットランドを語る会 活動報告 2017年◆
【第88回】 2017年11月17日(金)18:00〜 参加者7名
発表者:谷岡健彦さん
テーマ:スコットランド国立劇場の『ジェイムズ王三部作』
『ジェイムズ二世』の初演の舞台写真
悪夢に悩まされるジェイムズ二世
(スコットランド国立劇場提供)
○The James Plays by Rona Munro (2014)
1. 作者ロナ・マンロウについて
1959年、アバディーンの生まれ
映画 『レディバード・レディバード』(1994年、ケン・ローチ監督)、
『オレンジと太陽』(2011年、ジム・ローチ監督)など
演劇 『アイアン』(2002年)など
→ 夫を殺害して服役している女とその娘の物語。娘は心的外傷で幼少時の記憶がない(過去が欠落している)。
2. 『ジェイムズ王三部作』(2014年初演、2016年にも再演)
スコットランド国立劇場(2006年開設)の委嘱、ロンドンの国立劇場にも巡演
三部作 − 叙事詩的スケールが必要、天下国家を論じる、現在とのつながり
マンロウのねらい − シェイクスピアの歴史劇のスコットランド版
『リチャード二世』『ヘンリー四世』『ヘンリー五世』『ヘンリー六世』『リチャード三世』
(弱い王家が、強力な貴族たちを倒し、やがて賢王が登場するという物語)
イギリス人(イングランド人)が歴史を語るときに頻繁に参照される時代
→ スコットランドにはそれがない(『アイアン』の娘のように過去が欠落している)
3. 劇中に描かれる王たち
ジェイムズ一世(1394−1437 在位1406・1424−37)
イングランドの捕虜となっているときに即位。詩を愛す。

ジェイムズ二世(1430−1460 在位1437−60)
父の暗殺後に即位。大砲の暴発で死亡。

ジェイムズ三世(1451−1488 在位1460−88)
遊び好き。あまり有能な王としては描かれない。

ジェイムズ四世(1473−1513 在位1488−1513)
賢王。父を殺害したことを悔いるため鎖を身体に巻いていた。

※この三部作で描かれるのは、1424年の一世の親政開始から1488年の四世の即位まで。
弱い王家が貴族を倒し、やがて賢王が登場するという物語
4. 各作品の概要
・『ジェイムズ一世』(副題:錠にかける鍵)
ヘンリー五世(シェイクスピアの歴史劇のなかでは賢王)から帝王術を学んだジェイムズ一世がスコットランド王として基盤を築くヘンリー五世が粗野な人物として、ジェイムズ一世が詩を好む文弱の徒として描かれる。
ジェイムズ一世が、スチュワート家の貴族たちを倒すところで終わる。
ジェイムズに殺された男たちの母イザベラは、呪詛の言葉を吐く(←『リチャード三世』のマーガレット)

・『ジェイムズ二世』(副題:無垢の日)
まだ幼いときに、父や親類を惨殺される経験をしたジェイムズ二世はトラウマを抱え、悪夢に悩まされ続ける。
慰めとなってくれたのが、ウィリアム・ダグラスだった。
しかし、親政開始後も王と同じだけの権力があるかのように振舞うダグラスを、ジェイムズ二世は自分の手で刺殺する。

・『ジェイムズ三世』(副題:真実の鑑)
ジェイムズ三世は、政治はそっちのけで、庶民の女を愛人にしたり、自分専属の楽隊を召し抱えたりして遊蕩にふけっている。マーガレットとの夫婦仲も冷えきっている。
マーガレットのもとで育ったジェイムズは父を戦で倒し、ジェイムズ四世として即位する。彼は武芸に秀でているだけでなく詩作も好む王であった。

※自分が大事にしている人物(親友、父)を殺すことで王の資質を獲得する。
※女性(それも外国人女性)が物語で重要な位置を占める。
5. 初演時の政治背景 − スコットランドの分離独立住民投票
注目すべき台詞

・一世の即位の演説
That Scotland will be small but it will be whole. It will be poor, but all its people will know their worth and know how to fight for it. It will be a tiny part of the world but it will know all the world knows. It will be assaulted but it will never be broken. It will make no quarrel where it isn’t provoked … but it will bend to no other nation on this earth. That is Scotland. That is who I am.

・即位する四世への大叔母からの言葉
Don’t worry about what kind of king you’re going to be. Scotland herself doesn’t know what kind of nation she is half the time but I’ve learned that there’s no sense being frightened of what you don’t know. Time to walk out in the world again and find out.
(谷岡健彦)
【第87回】 2017年9月25日(月)18:00〜 参加者12名
発表者:山根京子さん
テーマ:パイプバンドのドラムを叩いて10数年
パイプバンドのドラム
バグパイプのバンドはPipes and Drums と言われ、バグパイプ隊とドラム隊で構成され、ドラム隊には3種類のドラムがある。一番大きくてバンドの要となるベースドラム(バスドラ)、音を叩きながら、マレットを回すテナードラム、そして私が叩いているスネアドラムは、オーケストラなどのスネアドラムと違い、上下にスネアがついていて、バグパイプの大きな音にも負けないようにケブラーと言う大変丈夫な樹脂で出来た皮が張られていて、強くてカリカリした音がする。
グレード1(コンペのグレードは1から4まであり、世界中のバンドが毎年グレード1を目指してしのぎを削っている)のバンドでは、たいていスネアは10台以上いて、過去には一つのバンドにベースドラムが2台いたり(音程が違う)、テナードラムが8台(ドレミの各音)も使用されたことがある。
東京パイプバンド 後方がドラム隊
一番後ろからスネアドラム、テナードラム、ベースドラム
グラスゴーでのドラム隊
ワールドコンペティションのグレード1の映像
バスドラが2台の例
スネアドラムを始めたきっかけ
帰国したり、転勤したりで、ドラマーが少なくなってしまったので、パイプメジャーの主人から誘われたのがきっかけ。1997年頃メンバーだったカナダ人のドラマーに習い始めた。左右の手で同じように早く均等に叩くことは、とても地道な練習が必要。
大変な事、苦労したこと
ドラムが重いので、小さい私が持って叩きながら歩くのはとても大変。
外人の歩幅は大きくてとても追いつけず、ニューヨークでの4キロのパレードの時は、大股で進まれると一番後ろの私は音楽に合わせられず小走りになってしまった!

普段は指導者がいないこと、楽譜もない、録音聞いても映像を見ても速すぎてわからない。
同じ曲でも各バンドで叩き方が違い、今まで習った多くの先生は、口伝で習っていて楽譜を書けない先生も多く、ようやく書いてもらった手書きの楽譜は本当に読みづらく、実は間違いもあり解読に苦労した。最近は楽譜をかける人も増えて、しかもパソコンで美しい見やすい楽譜を作れるソフトもあり、ネットでも各バンドが公表しているものもあるので参考にしている。この秋、スコットランドからグレード1のドラマーを招聘してコンペとレッスンを受けるのがとても楽しみ!
手書きのドラムの楽譜
(※クリックで原寸表示)
楽譜があるとわかりやすいが、そもそも民族音楽なので、書き表せないニュアンスがいろいろあることに10年以上やってきて気がついた!記号や音型など、楽譜はあとから便宜的に書かれているので、マンツーマンでレッスンを受けると実際の演奏とは違うことも結構ある。

今までクラシックやロックのドラマーが何人も参加したが、一人で音楽に合わせて演奏するのは上手でも、パイプバンドは数名のドラマーの手を合わせないといけないので、それがとても難しい。最高峰のバンドの演奏は本当にぴったりで、手の高さも音の大きさも粒も揃っていて息をのむ。それこそ団体演技のアスリート並みの練習と集中力が必要なのだ。
ドラムサリュート
楽しいこと、心に残る演奏
日本にはパイプバンドがあまりないので、パイパーと共に、さまざまな珍しい体験が出来る。
例えば今年2017年もアイルランドのチーフタンズのコンサートに呼ばれていて、演奏に参加予定。スペインのカルロス・ヌニェスが来た時も一緒に演奏した。一流の演奏家と演奏出来て、彼らの舞台作りを間近で見られるのはとても興味深いものだ。

いろいろな国のバンドと交流が出来るのもとても楽しい!
パレードなどでは世界共通のマストバンド用の楽譜があり、一緒に演奏することが出来る。ワールドのコンペに行った時は、アメリカ、カナダ、オマーンから来たバンドとグラスゴーの街を練り歩き、ニールストンでもニールストン・パイプ・バンド、スペインのガイタのバンドと一緒にパレードした。
ニールストンのパレード
2005年のワールドコンペテイションに挑戦した時、東京パイプバンドをずっと指導してくれていたアメリカのマイケル・グリーンがパイプメジャーだったCity of Washingtonと一緒になり(勿論彼らはグレード1)、彼らから習った曲をみんなで円になって演奏したことがある。グレード1の人たちと同じ曲を、同じ手で演奏出来て、一緒に叩いていると自分がとても上手になったような気がして嬉しくて、本当に感激した!

チェコに演奏旅行に行くニールストン・パイプバンドに参加させていただいた時は、ニールストンのバンドの手を覚えないといけなかったので、とても苦労したが、私にとっての新曲をみんなで一緒に演奏出来てとても楽しかった。
チェコのパレード
神戸のパイプフェストでは、来日したドラムメジャーのチャンピオンと一緒に演奏したが、東京パイプバンドの演奏に合わせて、メイスを高く投げたり、大きく回したり、素晴らしい演技を披露してくれ、思わず演奏を忘れて見惚れてしまうほどで、この時の演奏も忘れられない。
神戸のパイプフェスト
ドラムのこともこんなふうに知って、映像などを見るとまた、違った面白さがあるのではないでしょうか。
やればやるほど本当に奥が深く、難しいものではありますが、頑固にスコットランドの伝統を守りつつ、これからも精進を続けたいと思っています。今後とも応援どうぞよろしくお願いいたします!
(文と写真:山根京子)
おまけの映像
トップシークレット(ドラムだけのエンターテインメント)
【第86回】 2017年7月27日(木)18:00〜 参加者8名
発表者:三野友子さん
テーマ:アウター・ヘブリディーズ諸島の旅 〜サウス・ユーイスト島のサマースクールに参加して〜
私は、ライアー(lyre)という弦楽器を弾いています。17年ほど前、ライアーを教えてもらっていたイギリス人女性にスコットランドゲール語の歌のCDを聞かせてもらいました。初めて聞くゲール語の歌のメロディの美しさにすっかり魅了され、自分でも歌いたいという思いがわいてきました。と同時に、たくさんの美しいメロディが生まれたアウター・ヘブリディーズを訪れてみたい、というのがいつしか私の夢となりました。

そんな折、サウス・ユーイスト島でゲール語と音楽、ダンスのワークショップが毎年開催されていることを知り、ゲール語の歌の先生が、私が最初に聞いたゲール語のCDの歌声の方だと知り、ぜひ参加せねば!と、今回の旅となりました。

サウス・ユーイスト島にCèolas(キョーラス)http://www.ceolas.co.uk/という、1996年に設立されたゲール語文化の団体があります。ゲール語の言語、音楽、文化をスコットランド国内のみならず、世界へ向けて広く発信することを目的としていて、毎年夏にはサマースクールを開催しています。
21回目となる今年は、7月2日(日)〜7日(金)に開催されました。

開催クラスはゲール語(入門〜上級)、フィドル(バイオリン)、バグパイプ、クラルサッハ(ハープ)、ステップダンス、ゲール語の歌、青少年向けのフィドル、バグパイプのクラスなどです。
イギリス国内外からおよそ120名近くの人が参加していました。(海外参加はアイルランド、ドイツ、フランス、ルーマニア、スウェーデン、シンガポール、カナダ、ニュージーランドなど)。
講師陣は各分野で活躍する著名な方々で、今回はカナダのケープブリトンから歌、ダンス、フィドルの講師を招聘したことが目玉だったようです。 村をあげての一大イベントで、スクールの期間中はコミュニティホールなどでダンスのケイリーや、コンサートが毎晩開催されていました。地元住人の方々もカフェテリアや、コンサートなどでボランティアとして好意的に協力している様子でした。
私が参加した歌のクラスの様子
講師:Christine Primroseさん
地元の青年バグパイプ団
美しい自然
英語とは異なる言語のゲール語が、地元の人々に普通に話されているという現実を実際に見て素直な感動と驚きを覚えました。
そして、Cèolasという団体のゲール語文化を守り、次世代へ伝えていきたいというアツい思いに感動でした。
島はいつも風が強く、気温も低めでしたが(13度〜17度)美しい自然に囲まれ、のどかで平和。人口が少ないこともあってか、犯罪がないので家に鍵をかける必要がないのもびっくり!でした。

旅全体としては、アウター・ヘブリディーズの島々をバスとフェリーを乗り継いて、縦断したことになりました。訪れたのは、ルイス島、ハリス島、ノース・ユーイスト島、サウス・ユーイスト島、エリスケイ島、バラ島でした。(帰りにアイオナ島、スタッファ島にも寄りました)
ゲール語の歌を習うということがきっかけでしたが、私が見聞したのはほんの一部にせよ、アウター・ヘブリディーズの自然や、文化、言語に触れることができました。そして、もっともっといろいろ勉強して、いつかまたこの土地に戻ってきたい……というのが当面の目標となりました!
(文と写真:三野友子)
【第85回】 2017年5月18日(木)18:00〜 参加者13名
発表者:山田修さん
テーマ:オークニー諸島ホイ島の海食柱、Old Man of Hoyをたずねて
フェリーから見たOld Man of Hoy
Old Man of Hoyはオークニー諸島で2番目に大きいホイ島の北西部の玄武岩の上にそそり立つ、世界有数の海食柱(stack or sea stack)です。高さ137m、旧赤色砂岩から風と大西洋の荒波が作り出した造化の妙です。かつては2本足でしたが、19世紀前半、嵐による風波によって足を1歩失ったといわれています。いずれは倒壊して、消失すると考えられています。ホイ島の西側は赤褐色の断崖が連なります。ScrabsterとStromnessの間を航行するフェリーからOld Man of Hoyを見ることができます。

今まで2回Old Man of Hoyのそばまで行ったことがあります。初めてオークニーを訪れた1978年8月に陸側から徒歩でいったときと、2006年6月JSSツアーのボートトリップで海側から行ったときです。ボートリップについては『スコットランド便り』(52号、87号参照)に書いていますのでそちらを見ていただき、ここでは39年前の古い話で恐縮ですが、宿の主人にすすめられて、徒歩で行ったときのお話をします。

この日空は晴れ渡り、雨ひとつ降らない、眺望がよくきいた日でした。天の恵みか、本当に良い日に訪れました。7:45 Kirkwall発のバスでStromnessへ、8:30 Stromness発の小さな船でホイ島北東のMoaness桟橋へ渡りました。30分ほどです。桟橋近くの無人小屋に、目的地へのコースと所要時間の掲示があるだけでした。コースは二つあり、一つは南回りのRackwick経由、もう一つは北回りの断崖St John’s Head経由、いずれも所要時間3時間。私は崖沿いではない南回りのコースを選びました。Rackwickまではオークニーで一番高い山Ward Hill (高さ481m)の東回りと西回りがあり、行きは東回り、帰りは西回りのコースを取りました。東回りはRackwickまでアスファルトの道が続いています。
正面(西)から見たDwarfie Stane
途中Dwarfie Stane(Staneは石の意)に寄りました。紀元前3,000年ころ、巨石をくりぬいて作られた墓の遺跡です。小人が住んでいたという伝説から、この名がつけられました。長さ8m、奥行き4m、高さ2.5mの大きな石です。下が少し埋まっているので、地面から出ている部分は大人の背丈より低いです。正面右寄りに1辺1mほどの正方形に近い入口があり、以前は石製の厚板で封鎖されていましたが、今はその厚板は入口の前に置かれています。中をのぞくと左右が人ひとり横になれるくらいの広さにくりぬかれ、右のほうが少し大きいです。
Rackwickの入り江
Old Man of Hoyの頭が見えてくる
巨石を後にして、Rackwickを過ぎると山道となります。オークニーにはほとんど木が生えていません。やがて海が開けてきました。目的地で昼食をとるつもりでしたが、正午も回り、少々疲れてきたので、山腹の廃屋のそばで、宿のおばさんの心づくしの、ジャムやバターをぬったパンと携帯用の魔法瓶に入れてくれた紅茶とで昼食をとりました。海を見下ろしながらの昼食はまた格別です。一休みして、また歩き始めました。途中で崖っぷちに近い道を通りますが、下を見ると海に吸い込まれそうになるので、山側に体を傾けるようにして歩きました。Old Man of Hoyの頭が見えだして勢いづきますが、そばまでたどり着くまで結構時間がかかりました。
間近に見るOld Man of Hoy
Stromnessに向かうフェリーが通りかかる
目的地に着くとあたりは平地になっていて、10人足らずの人が散らばって休んでいます。何人かの女子学生のグループが、崖っぷちに座り込んで、サンドイッチを食べながら平気でおしゃべりをしていました。すぐそばで見るOld Man of Hoyは、何とも言えぬ迫力があります。その彼方には大西洋が茫洋と展開します。ちょうどScrabsterからStromnessに向かうフェリーが通りかかりました。

帰りはRackwickに戻り、今度はWard Hillの西側の道を取りました。ピッチを上げたせいか、4時前に桟橋に着きました。横道を入ったところにティーを飲ませてくれるキャンピングカーがあり、ティーを飲んで疲れを癒しました。4:30発の船が来たのが少し遅れ、桟橋を出たのが5時前でした。

オークニーへ行かれる方、1日割いてOld Man of Hoyの間近まで行かれてはいかがですか。
(文と写真:山田修)
【第84回】 2017年3月2日(木)18:00〜 参加者10名
発表者:市村操一さん
テ−マ:女性のゴルフ史

19世紀の後半までスコットランドを中心に発達してきたゴルフは、20世紀に入って世界に広がっていった。
その歴史のなかでの女性の姿を振り返ってみた。

スコットランド女王メアリー・スチュアートが、1567年2月夫ダーンリー卿の死後数日に、メアリー・シートンという女性とゴルフをプレーしたことが記録されている。しかし、これが女性のゴルフの最古の記録ではないようである。1513年、ヘンリー8世の最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンは、枢機卿ウォールジー宛の手紙の中で「フランスに出征中の王からの便りはあまりないが、私はありがたいことに、宮廷ではゴルフで忙しくしている」と書いている。

海岸沿いの雑地で様々な階層の人たちによってプレーされていたゴルフは、18世紀の中葉にクラブ組織によるスポーツに変わる。クラブ組織は男性によるもので、女性ゴルファーはその歴史にまだ姿を見せていない。近代の女性ゴルフの歴史は1867年のセント・アンドルーズのレディース・パッティング・クラブに始まる。
だが、そのころは肩より上まで振りかぶって、60ヤード以上飛ばすことは女性らしくないといわれた。1893年にはレディース・ゴルフ・ユニオンが結成され、選手権試合が行われるようになった。しかし服装はくるぶしの隠れるロングスカートだった。

19世紀の終わりにはアメリカの女性もゴルフを始め、1900年のパリ・オリンピックでは女性のゴルフが行われた。女性参加者は10名、優勝はマーガレット・アボット(米)。神戸GCも1904年に女性の競技会を開いた。1920年代、フランスでも女性ゴルフの人気が上昇した。また第一次大戦で多数の男性が亡くなった穴埋めとして、多くのゴルフ・コースは女性を歓迎するようになるが、会員にはせず、クラブハウスに入れない時代はその後も続いた。

21世紀になって米国のオーガスタ・ナショナルGCは2012年に、英国のロイヤル・アンド・エインシェントGCは2014年に女性の会員を受け入れ始めた。しかし、最古のクラブのミュアフィールドは依然としてMen-onlyを貫いていましたが、3月14日女性を会員にすることに決定しました。2020年東京オリンピックのゴルフ競技の会場に予定されている埼玉県の「霞が関カンツリー倶楽部」が女性会員を認めてないことは、オリンピック憲章に反するということで善処するように言われているが、どういう結果になるだろうか(※)。男性の作ったクラブとコースに女性が十分満足できるかどうかについてはまだ議論がある。
(市村操一)
※「霞が関カンツリー倶楽部」は2017年3月20日、女性正会員も受け入れることを決めた。
ゴルフというスポーツに女性がどのように進出していったか、市村さんは写真を多く見せながら詳しくお話されましたが、1時間ではしゃべり足りないご様子でした。名門クラブとフェミニズムとのせめぎあい、これからも出てくるでしょうが、徐々に女性の入会を認めてくるような気がします。
「スコッツマンを読む」会で、当時スコットランド首相だったアレックス・サモンドが、会場のミュアフィールドが女性会員を認めてないことに抗議して、2013年度の全英オープンをボイコットした記事(2013.6.29)を読んだことを思い出します。ミュアフィールドもついに折れました。
(山田修)
【第83回】 2017年1月30日(月)18:00〜 参加者10名
発表者:渋谷寛さん
テ−マ:スコットランドとペット
(1)スコットランドに縁のある犬種
スコットランドの歴史・文化と縁のある犬種としては、悲劇の女王メアリー・スチュワートMary Stuart(在位1542-1567)の愛犬で、処刑後に女王のスカートの中に潜り込みその場を離れようとしなかったことで有名な、キング・チャールズ・スパニエル(犬種については異説あり)を挙げることができる。国民よりも犬を大切にした(愛犬がどこでも入れるような法令を制定した)チャールズ2世CharlesU(在位1660-1685)の愛犬であったことからこの名が付けられた。
(2)スコットランドを故郷とする犬種
スコットランドのケンネルクラブによりスコットランドを起源とするものと認められた犬種は12種類ある。
1)スコティッシュ・テリア(Scottish Terrier)
英国の島、エアデールAiredale、ケアンCairn、スカイSkye、ヨークシャーYorkshireなどに生息する毛の硬いテリア種である。愛称は、スコッティー。小型で、角ばった顔をしており、被毛の色は黒。スコットランドを代表する犬種である。ウエスティーと共にスコッチウイスキーの広告にも使われている。古くは、オッター・テリア、ディーハード・テリアとかアバディーン・テリアと呼ばれたこともある。
左:ウェスト・ハイランド・ホワイト・テリア 右:スコティッシュ・テリア
2)ウエスト・ハイランド・ホワイト・テリア(West Highland White Terrier)
ケアーン・テリアを祖先とする猟犬である。愛称は、ウエスティー。19世紀の中頃、アーガイル州ポルタロッホのマルカム大佐Colonel Malcolm of Poltalloch in Argyllは、狩の最中に茶色い野ウサギと見間違えて、自ら可愛がっていた同色のケアーン・テリアを撃ち殺してしまった。この事件による反省から、白いケアーン・テリアの改良に努め完成させたのがこの犬種である。
3)ゴールデン・レトリバー(Golden Retriever)
その起源については定かではないが、1860年代にツィードミュア卿Lord Tweedsmuirが、ロシアの黄金色のサーカス犬と今は途絶えてしまったツイード・ウォター・スパニエルとかけ合わせ、更にブラック・レトリバー、アイリッシュ・セッターとブロッドハウンドを組み合わせてゴールデン・レトリバーとして紹介したとされている。
シェットランド・シープドッグ
4)シェットランド・シープドッグ(Shetland sheepdog)
愛称はシェルティ。祖先はブリテン島に遡るが、原産地はシェットランド諸島とされている。この地方では過酷な自然のため動植物が十分に育たず、シェルティが小型化したのもその為とされている。
5)スカイ・テリア(Skye Terrier)
ハイランド・ポニーが、ラム島The island of Rumの馬と難破したスペインのアルマダ艦隊から陸に上がった馬がかけ合わされて生まれたとされているように、スカイ島のマルチーズ種とスペインのアルマダ艦隊から逃げた犬とがかけ合わされて誕生したとされている。この犬の忠実さは、死ぬまでの約14年間先に他界した飼い主の墓の側を離れなかった忠犬ぶりを語った、「グレイフライアーズ・ボビー」(Greyfriars’ Bobby)物語により有名である。
6)ボーダー・コリー(Border Collie)
300年以上前よりスコットランドとイングランドの国境付近の丘陵地帯に生息してきたコリー種である。国境(ボーダー)にちなみ、1915年よりボーダー・コリーと呼ばれるようになった。
7)ラフ・コリーとスムース・コリー(Rough Collie and Smooth Collie)
両犬は毛の長さに差はあるが、同じ犬種である(ラフは長毛種、スムースは短毛種)。ビクトリア女王Queen Victoria(在位1837-1901)が1860年にスコットランドを訪問した際に気に入ってイングランドへ連れて帰ったことがきっかけで有名になった。
8)その他
ビアデット・コリー(Bearded Collie) ケアン・テリア(Cairn Terrier) ダンディ・ディンモント・テリア(Dandie Dinmont Terrier) ディアハウンド(Deerhound) ゴードン・セッター(Gordon Setter)
(3)スコティッシュ・フォールド(Scottish Fold)
1961年にスコットランドの中部に位置するテイサイドの農家に白い猫が生まれスージーと名付けられていた。このメス猫は、耳が立たなかった。スノーボールと称して展覧会に出陳。1994年一猫種として認定。長毛種ではハイランドフォールドと呼ばれることもある。
(4)ブラック&ホワイト(スコッチウイスキー)
企業家ジェームズ・ブキャナンは「ブキャナンズブレンド」という黒いボトルに白いラベルの製品を販売し(1884年)好評を得ていたが、その通称であるブラック&ホワイトに製品名を変更した。1892年のスコットランドのドッグショーで優勝したスコッティーとウエスティーをトレードマークとして採用しその容姿をラベルに並べた。
(5)スコットランドの動物保護活動(アニマルポリス)
王立英国動物虐待防止協会 (RSPCA) とスコットランド動物虐待防止協会 (SSPCA) インスペクターが動物虐待を防止する。
(6)スコットランド動物健康福祉法(2006年)
英国動物福祉法(2006年)同法第46〜50 条では、「2006 年動物福祉法」の一部につき、スコットランドでの適用方法について定めている。虐待(闘犬、断尾、断耳等)を禁止している。
(7)殺処分ゼロ運動
仏教的な殺傷禁止論(輪廻転生)とキリスト教的な動物福祉論(苦痛からの解放)
ウイスキー・キャット、タウザーの像
(8)ウイスキー・キャット
1)グレンタレット蒸留所で飼われていたメス猫。タウザー(Towser)は、1987年3月20日に死ぬまでの23年間と11か月の間に28,899匹の鼠を捕まえ、ギネスブックに記録されている。この猫は女王エリザベス2世と誕生日が同じ4月21日です。23歳の誕生にあたる1986年に、スタッフがタウザーの名で女王へ送ったバースデイカードに対し、女王から「161歳の誕生日おめでとう」と記された返事が返ってきた逸話がある。
「イギリスでもっとも美しい猫」スモーキー
2)ボウモア蒸留所にいた灰色で胸に白い毛のあるスモーキーは、『カントリーライフ』(Country Life )という雑誌で、「イギリスでもっとも美しい猫」として賞賛された。
右はグレイフライアーズ・ボビーの像 正面は同名のパブ
(9)名犬グレイフライアーズ・ボビー
エディンバラにあるグレイフライアーズ墓地のボビー(スカイ・テリア)。ボビーは、主人(警察署の夜警1858年2月没、45歳)が亡くなった後も14年間、自らの命が尽きるまで、主人が眠るグレイフライアーズ墓地を片時も離れなかった犬として知られている。当時、犬税とのからみで飼い主のいない犬の殺処分が決まるが、エンディンバラの名誉市民に選ばれ生き延びる。グレイフライアーズ墓地の近くにはグレイフライアーズ・ボビーというパブがあり、銅像も建てられている。グレイフライアーズ墓地には主人の墓と、ボビーの記念碑がある。ところが、この墓地では犬の侵入を今でも禁止している。
(渋谷寛)
渋谷さんは弁護士さんで、ペット訴訟のオーソリティでもあります。写真も玄人はだし、ウイスキー文化研究所主任研究員でもあり、その活動範囲は広いです。昨年6月末に神戸で、スコットランドのペットのお話をされましたが、東京でもお聞きしたいという声があり、今回お願いしました。
パソコンで犬や猫の写真を示しながら、分かりやすく話されました。話の途中で質問に答えながら、アットホームな雰囲気の中で進められました。

なお、渋谷さんは環境省主催シンポジウム「動物の愛護と管理と科学の関わり」にパネリストとして参加されます。
2月26日(日)13:00〜17:00、昭和女子大学グリーンホールにて。入場無料、事前申し込み制、定員500名。
興味のある方は、FAX 03-5362-0121に「動物愛護管理シンポジウム参加希望」と明記し、@氏名、Aふりがな、Bご職業(ご所属)、C電話番号。Dメールアドレスをご記入の上、お申し込みください。
(担当:山田修)

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