◆スコットランドを語る会 活動報告 2014年◆
【第70回】 2014年 11月13日(木) 18:00〜 参加者14名
発表者:高橋 周平さん
テーマ:「『マッサン展』と私のスコットランド――日本とスコットランドをつなぐ私の闘い」

高橋さんには在スコットランド総領事時代と、その後外交史料館の館長をされてからのことについて、主として語って頂きました。
まず総領事時代には、日本では良く知られているグラバーさんが、現地ではあまり知られていない上に、グラバーさんの生家も荒れ放題になっているのを知って、アバディーン市当局と粘り強く交渉し、グラバー生家に管理人を常駐させ、建物を保存するようにさせ、更にアバディーン市と長崎市を友好都市にさせるのに成功したとのことです。

また今回NHKで「マッサン」が取り上げられるのに合わせて、高橋さんは外交史料館で「マッサン展」を開くことを計画されたのですが、その種の活動に消極的な外務省の皆さんを説得するのに、大変苦労されたとのことでした。これが「私の闘い」ということなのでしょう。
今回の展示については、ニッカ・ウィスキーやサントリー、その他から、非常に貴重な資料を提供してもらい、他所では見られないような珍しい物ばかりだそうです。出席会員の中から提案があり、来年一月か二月に、団体で『マッサン展』を見学に行こうということになりました。
(担当:佐藤猛郎)
【第69回】 2014年 9月16日(火) 18:00〜 参加者9名
発表者:市野 宗彦さん
テーマ:「スコットランドから日本に来た歌」

市野さんは今回The Blue Bells of Scotland(うつくしき)、Annie Laurie(アニー・ローリー)、それにComin’Thro’the Rye (故郷の空)の3つを取り上げて、それぞれが明治15年以降に音楽教科書に取り入れられたいきさつと、小学校、及び中学校の教科書に取り入れられている内に、曲の一部が日本人向けに代えられたり、歌詞が時代を経るごとに色々に変化してきた経緯を、実例を挙げながら詳しく説明して下さったので、聞き手はすっかり目を丸くして聞き入っていました。
大変感動的なお話でした。またギター伴奏付きで、市野さんが歌う歌声に皆聞き惚れていたような次第です。

題名の移り変わりについてですが、例えば「うつくしき」の場合、「うつくしき」〈明治15〉、「一日一善」〈大正15〉、「乙女の心」〈昭和4〉、「スコットランドの釣鐘草」〈昭和5〉、「若草の古戦場」〈昭和8〉、と続き、最後に「つりがね草」〈昭和31〉になるまで、10回も題名及び歌詞が変わっているのです。このようなことは、我々にとって全く知らないことでしたので、私達はみな吃驚いたしました。

当日は日本スコットランド協会の行事、「余市訪問の旅」とスケジュールが重なってしまったため、出席できない会員が多かったのは残念でした。
(担当:佐藤猛郎)
【第68回】 2014年 7月17日(木) 18:00〜 参加者18名
発表者:市野 宗彦さん
テーマ:「Auld Lang Syne」と「蛍の光」

市野さんはスコットランドの歌が日本に伝わってきて、受け入れられた歴史について長年興味を持っておられて、その研究を続けられた方ですが、協会の昨年秋の講演会でお話し頂いたのでけれども、まだまだそれではお話しし切れない様子だったので、「スコットランドを語る」でもお話しして欲しいとお願いして、それが実現したのです。
市野さんの学識の広さには参加者のすべてが圧倒されるほどで、出席者は皆とても満足して家路についたことと思います。

明治初期に小学校で音楽が正課となった時、音楽の教科書に取り入れられた曲は60曲あったとのことですが、そのうち10曲がスコットランドの曲で、またそのうち6曲がロバート・バーンズの詩による曲だったそうで、当時の日本人にとって、いかにスコットランド音楽が親しみを感ずる音楽文化であったかを示しているとのことです。

もともとバーンズの「オールド・ラング・サイン」は友人が再会を喜ぶ歌なのですが、それが日本では(或いは世界各国で)別れの歌になったことを紹介すると共に、この曲が賛美歌や軍歌に取り入れられた例などを紹介し、さらにこの曲が新年の祝いの曲として使われることもあることを話して頂き、観客はすっかり夢中になって聞き惚れておりました。
市野さんにはこれからも他のスコットランド原産の音楽についてお話し頂きたいと願っています。
(担当:佐藤猛郎)
【第67回】 2014年 5月15日(木) 18:00〜 参加者8名
発表者:松村 孝俊さん
テーマ:「スコットランドについて、思い出すまま」

松村さんは現在のパナソニック社、嘗ての松下電器の社員で、松下幸之助氏の信頼が厚く、ヨーロッパの8カ国で同社製品の販売を統括する責任者に抜擢されたため、頻繁にヨーロッパに行き来し、時には1週間に2回も現地と往復することがあったとのことで、英国にも100回以上訪問したことがあったとのことです。

同社のヨーロッパ事務局はハンブルグに置かれていたとのことですが、松村さんは大のゴルフ好きで、全英オープンの大会があると、必ず英国を訪れたとのことです。
全英オープンの会場となるゴルフ場の大半はスコットランドにあるので、徐々にスコットランドでのゴルフが好きになり、またそれに関連してスコットランド独特の風物とか、文化、歴史などに興味を持つようになったとのことです。

その後松村さんはアメリカ全土の販売責任者に任命されて、アメリカ全土を精力的に駆け回る生活になったとのことですが、それでもゴルフの全英オープンが始まると、必ず海を渡ってスコットランドに行くという生活を続けて来られたとのことです。

会社を引退した今は、スコットランドの文化に親しむことを生きがいとされているとのことで、JSSの行事にも出来るだけ出席したいとのことでした。
(担当:佐藤猛郎)
【第66回】 2014年 3月7日(金) 18:00〜 参加者10名
発表者:市村 操一さん
テーマ:「オリンピックのゴルフに反対したR & A (The Royal and Ancient Golf Club of St. Andrews)」

講師の市村さんは、ゴルフの歴史にまつわるいろいろな資料を調査して、ゴルフがオリンピックに取り入れられた歴史を辿ったのですが、その結果これまで2回しかオリンピック競技に取り入れられていないことを知ったそうです。その2回とは、オリンピック史上2回目の1900年のパリ・オリンピックと、1904年の米国、セントルイスのオリンピックで、1回目の男子の参加者は12名(4カ国)、女子の参加者は10名(2カ国)だったそうです。

その後1908年のロンドン・オリンピックでは、ゴルフを取り入れることがほぼ決まっていたのに、オリンピックの運営委員会とゴルフの協会との間で路線の違いが表面化して、それがキャンセルされてしまったとのことです。
もともとクーベルタン男爵によるオリンピック競技が1896年に始まった比較的新しい競技会なのに、スコットランドのセント・アンドルーズ・ロイヤル・ゴルフ・クラブは1754年設立という古い歴史があり、その後のゴルフ競技のルール作りなどに大いにかかわって来たのに、オリンピックの委員会からは、何の相談もなかったというのが、行き違いの原点だったようです。
こうして、ゴルフはこのところオリンピックには参加していませんが、2016年のリオデジャネイロではどうなるでしょうか、というのが市村さんが投げかけた質問でした。
ゴルフに詳しい出席者が沢山いて、ゴルフ談議は大いに盛り上がり、楽しい一宵を過ごすことが出来ました。

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