2014年 11月20日(木) | ||||
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もちろんNHKのテレビドラマ「まっさん」の影響であるが、以前にも読んだニッカウヰスキーの創設者竹鶴政孝と妻リタの話も思い出し、今回は政孝本人の書いたものを読むことになった。この「ウイスキーと私」は昭和47年に出版されていて、その時は関係者にくばられたのであろうか非売品の本であった。
政孝がウイスキー作りを必死で勉強し、スコットランド人の妻、リタとの国際結婚、日本でのウイスキー作りの経緯や苦労、そしてニッカを創設し自分の理想のウイスキーをつくりあげていくなどを簡潔な文で書かれている。
巻末の寄稿文も今回は豊富に加えられている。見事なヒゲを蓄えた特異な風ぼう―白い歯を見せて実に愉快そうに笑う笑顔はまさに千鈞の魅力、人間竹鶴がいかに信頼に値する人物であったか、スーパーニッカのコマーシャルソングとして生まれた谷村新司の「昴」、等々、最後に孫の竹鶴孝太郎の“ジャパニーズ・ジェントルマン”かくありき〜祖父から学んだこと、で終わっている。 日本のウイスキーの創造者の熱い思いが読後感にも漂う。 (担当:山崎)
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2014年 10月16日(木) | ||
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10月の読書会は16日(木)の午後、いつものように新宿の協会事務所で行いました。テキストは丸谷才一「文学のレッスン」。 文学界の泰斗丸谷才一氏を話し手とし、文学誌気鋭の編集者湯川豊氏を聞き手とする8回の対談を一冊にまとめたもの。 当日は、日本列島を縦断した台風19号も、前日までに温帯低気圧と化して東方海上に去っておりましたが、その名残りか、朝から少しぐずつき気味で、多分そのせいもあって、読書会の参加者はいつもより少なく8名でした。しかし取り上げたテキストのせいもあって、はじめから談論風発、楽しい会になりました。 丸谷、湯川両氏の対論は、古今東西の小説から伝記・自伝、歴史、批評、エッセイ、戯曲、詩と、文学全般に亘り、名著名作の作者とその時代背景、相互の関連性や影響などを、丸谷氏独特の視点から分析、批判、統合、体系化した文学論ともいうべきものですが、なにはともあれ、まず、丸谷氏の文学のあらゆる局面についての知識の該博さと思索の深さに圧倒されました。 又聞き手の湯川氏も丸谷氏の評するごとく、まさに“文学的感受性と文学的教養に富み”、インタヴューアーとしての手際と巧みさは誠に見事で、この書は、この両者の息の合った最高のコラボとの感を深く致しました。 読書会のあと、いつものように、近くで軽い食事を楽しみましたが、会の余韻を引いて話は大いにはずみ、ひときわ読書の楽しみを満喫して散会いたしました。 (英国はなぜ長編小説が発達したのかなど、歴史的にも興味深いものでした。) (担当:吉田)
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2014年 8月28日(木) | ||
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和人(日本人)に祖先伝来の土地を奪われ、民族の信仰や文化を抑圧され、二級国民としていやしめられ、想像を超える激しい労働を余儀なくされながらも、豊かな愛情と知性を貫き通したアイヌの女性・砂沢クラさんの一代の話とクラさんの20年に亘るノートを北海道新聞社社会部記者の深尾勝子さんがまとめたものである。 砂沢クラさんは明治30年、父(22歳)母(17歳)のカワウソ猟の途中北海道北見の山中で生まれた。 クラさんが生まれた当時、祖父はコタンコロクル(村おさ)で神のような人と敬われた人だった。10歳まで祖父、父母の下で不自由なく、豊かに暮らした。和人の小学校に入り、運動も学業も成績が良く、いじめられることはなかったが、11歳の春、アイヌの土地問題が起き、住み慣れた豊かな土地を追われ、荒れ地にわずかな土地と粗末な寒い小屋が与えられ、そこに住むように強いられた。(明治42年旧土人保護規定制定)それ以後一族に次々と病死が起こった。 父の死後、小学校も止め、幼い妹弟の子守。母が川猟に行く手伝いは、11歳で赤ちゃんを背負い、5歳の泣き泣き歩く妹の手を引いて、100キロの道を3日がかりで歩いたという想像を絶するもの。母は3歳の弟を背負い,猟と暮らしの道具の荷車を曳いて可哀想だったと。 その後10代は漁や工事現場へ出稼ぎの間にも女学校に行きたいという希望を持ち続けたが、希望がかなわないまま、結婚。夫はユーカラの上手な、クマ猟の名人だったが酒や暴力で苦労が絶えなかった。小さい子供の食糧の為、お産後10日目に白樺の皮取りに山に入り、赤ちゃんを懐に入れ、背中に白樺の皮45キロも背負って来て売って、食糧を買うことができたそうです。 クラさんの生涯は60数歳までは厳しい労働の日々でしたが、60歳代後半からアイヌ祭りに参加、国際民族学会でユーカラを演じた。75歳から6年間は北大教官の研究に協力し、アイヌ語やユーカラを伝えました。 この本の発行に当たって、クラさんは出会った人々への感謝ともに、 「アイヌは元元日本に住んでいた本当の日本人であることを知ってもらいたい。アイヌも和人も同じ神の子孫として、互いに敬い仲良く暮らして欲しいそればかりねがっています」 と語っています。 読書会で話し合ったことは日本中にアイヌ語の地名が残っていることは、日本中に住んでいたアイヌ人が争いを好まず奥地に奥地にと逃げ北海道まで行ったのではないか。 文字は持たなかったが、記憶力が良く、民族の文化や歴史を耳で伝えていった。 自然を大切にし、高い文化を持っていた。等々アイヌ民族に興味が尽きず話題沸騰。 (担当:近岡)
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2014年 5月20日(火)〜25日(日) 参加者12名 |
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読書会旅行企画 「イザべラ・バードの足跡を辿る北海道の旅」
明治11年アイヌの人たちとの交流を重ねながら、函館から平取まで旅をしたイギリス人旅行家イザベラ・バードの足跡を訪ねて、5月20日から25日まで、5泊6日の北海道の旅をしてきました。参加者は12名。 この時期は北海道の一番いい季節で、旅の2日目、ちょっと深い霧が立ち込め一時視界が不良になったときのほかは、毎日五月晴れの好天気が続き、柔らかな日差しに樹々の新緑がそれぞれの彩で映え、まさに春爛漫の「ピリカモシリ」(北海道のこと)を堪能することができました。 「旅は出会い」と言われますが、北海道の雄大壮麗な自然と心優しい人たち就中アイヌの人たちとの出会い、加えて心おきない同行の人たちとのゆったりとくつろいだ時間と空間の共有など、この度はまさに知と美に満ちた豊穣の旅でした。 ところでアイヌとは、「人間」を意味するのだとか。アイヌの人たちは「自分たちに役立つもの」あるいは「自分たちの力が及ばないもの」を「カムイ=神」として尊崇し、それらの神々に対して自分たちを「アイヌ=人間」と呼んだのだと知りました。たしかに訪れた資料館や文化記念館などの文物などからも、自然とともに生きるアイヌの人たちの敬虔な心が感じられました。 5泊6日の旅はあっという間でした。旅の終わりの日、札幌から千歳空港へ向かうバスの中で、バスガイドの岡本さんの歌う「アイヌ子守歌」に聞きほれながら、イザべラ・バードの残した足跡とこの旅に彩りを加えた函館山頂からの夜景、洞爺湖上の花火、支笏湖畔に聳える風不死(フツプシ)岳からの日の出などを改めて思い起こしながら北海道に別れを告げました。 さようなら ピリカモシリ イヤイライケレ(ありがとう) (担当:吉田)
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2014年 4月17日(木) 14:30〜16:30 参加者12名 | ||||||||||||||||
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資料:
出席者の感想:
(担当:加藤田)
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2014年 3月20日(木) 14:30〜16:30 参加者10名 | ||
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「日本奥地紀行」はスコットランド人で、明治11年に日本を横浜より北へ、そして北海道まで旅をした人、イザベラ・バードの紀行。それを、日本人で日本列島を50年以上くまなく旅したといわれる民俗学の宮本常一が読み、日本人には当たり前のこととして記述もあまりされてこなかったことなどが、外国人の目で取り上げられていることに驚いたり共感したりし、それらを彼の広い知識と深い洞察で解説したものである。 たとえば、バードは日本の馬の小ささを述べている。背は人の腰くらいの高さで、轡もつけず草鞋履きである。 人々は顔や衣類もあまり洗わずにいた状況、子供は可愛がられ、いつも大人の目線が向けられている様子等々、明治の初期の日本人にとってはあまり珍しいことではなかっただろう。 宮本常一はこれらを丁寧に解説している。本書の解説(佐野真一)にあるように宮本の「現代日本の背骨を見据えるまなざし」で書かれた興味深い本である。 (担当:山崎(美))
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2014年 2月20日(木) 14:30〜16:30 参加者11名 | ||||||||
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スコットランドのエジンバラ出身で、旅行家・冒険家・作家のイザベラ・バードが47歳で、1878年(明治11)5月から12月にわたり日本を旅したときのことを、母国の妹宛への手紙の形でまとめた本。これは1880年(M13)ロンドンで刊行された。 テキストの訳書は上・下2冊。上巻は関東、北陸、東北地方で、下巻は主に北海道のアイヌ集落のある幾つかの地域。彼女は実際にアイヌ人と暮らし、その風俗・習慣・宗教・文化に触れ、考察し記録した。原始の姿をとどめた未開の地の旅は容易なものではなく、苦楽に充ちた。北海道のあとは、京阪神と東京に足を運んだ。 当読書会はイザベラ・バードについて読んだのは今回で三度目。下巻に絞ったのは、1月の例会報告に登場の、作家でバードの研究者でもある富森菊枝さんのご尽力により、5月にバードの足跡を辿る北海道の旅が企画された。その準備に下巻のみ精読しようという意図による。 参加者の主だった感想
まだまだ多くの感想が、時間切れとなるほど出され、盛り上がった。
5月の旅を充実させるべく、3月例会の課題本が選ばれた。 (担当:西田)
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2014年 1月16日(木) 11:00〜15:30 参加者13名 | ||
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著者富森菊枝は1937年北海道生まれ。JSS読書会会員、児童文学作家 日本文芸家協会会員 日本女子大児童学科卒 主な著書「ぼくのジャングル」「鉄の街のロビンソン」「子どもの時のなかへ」など。 著者富森菊枝さんは読書会のメンバーですので、著者から直接いろいろなことを伺うことが出来る贅沢な読書会となりました。 本著は著者の幼少時の思い出から現在までの折々の出来事をつづったものですが、内容が多岐にわたり、かつ一編一編が重い課題を提示した読み応えのある本でした。 “子どもにとっての生と死” "幼年時代の森”冬 春の記憶、戦時少国民教育、戦後の平和教育、平和憲法、安保闘争、アイヌ民族問題等々、重い課題を体験した人だけが語れる、情景が見える、肉声が届くような精緻な表現と研ぎ澄まされた感性で書かれています。 生まれた川に戻ってくる鮭のように、自らの”原郷“に思いを深めていく著者の心情に思いを共にすることが出来ました。 戦争のような激動の時代にはメンバーの何人かが著者と1歳2歳の違いで体験に大きな差があることが話題になり、戦争の体験や戦後の苦しい体験は若い人に積極的に伝えていかなければということも確認しあいました。 更に、著者はスコットランドの旅行作家、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」にある北海道への旅に関する文やスコットランド旅行に参加した折、エデインバラでバードのお墓を探し当てたいきさつなどの文もいきいきと書かれています。 近い将来、読書会で再びバードの足跡を追って、今度は北海道に渡る計画も話し合われました。 (担当:近岡)
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