◆犬吠埼灯台の旅◆
犬吠埼灯台の旅
2014年は”日本近代灯台の父”リチャード・ヘンリー・ブラントン(1841−1901)が建設した犬吠埼灯台創立140周年に当たり、初点灯の記念式典が行われる11月15日に「犬吠埼にスコットランドを訪ねてきました。
以下は「スコットランド探訪の会」の幹事の稲永丈夫さんのレポートです。写真は國田あつ子さん。
<スコットランド探訪の会>
「犬吠埼にスコットランドを訪ねて」
11月15日、かねてからの念願であった銚子の犬吠埼灯台を訪れた。
一行は総勢20名(内未会員6名)、東から西から、かってない多数の参加を得たが、一番遠くは名古屋の濱島さんで前夜から駆けつけてくださった。
この日、灯台はちょうど140才の誕生日を迎えたのだが、日本をうかがっていた台風20号も気を利かせて足早に逸れて行き、高く澄みわたった蒼空からは強い陽射しが白亜の灯台に降り注ぎ、中空に張られた無数の万国旗が晴れやかな彩(いろどり)を添えていた。
この蒼空に聳える31メートルの高塔を見上げながら、ご親切にも案内役を買って下さった犬吠埼ブラントン会(「便り72号」参照)の仲田博史さんの、灯台の歴史、構造、レンズのこと等、実に懇切な説明を受けた後、背後にあるかまぼこ型の鉄製霧笛舎(濃霧時の警笛)に案内していただいた。
この鉄材は、日本近代化の象徴である官営八幡製鉄所(1901年火入れ)草創期の製品で、この種の信号所はここにしか現存しない由。また、霧笛は大型タンクに貯蔵した圧縮空気を一気に吹鳴器に吹き込んで豪音を鳴らすエアー・サイレンス式で、これも日本で唯一の現存。
説明の締めくくりに、仲田さんが論より証拠と、ご自分の喉笛で腹の底に響くような豪快な霧笛を再現してくださったのには驚いた。この霧笛舎(2008年に操業停止)も近く、灯台同様、国の文化財に指定されるとのことだった。

この後、近くの旧家を改造した和風レストランに向かい、銚子名物の新鮮な海鮮料理に舌鼓を打った。
灯台に戻る途中、ふと道端に紫色の小さなアザミがひっそり咲いているのを見つけた。ひょっとして140年前、ブラントンも同じように、灯台工事の合間に岬を散策しながら、このアザミを見つけたのだろうか。もしそうなら、自分の国で仕事をしている錯覚に陥ったかもしれないなあと、しばし往時が偲ばれた。
午後の記念セレモニーは、高橋代表がキルトの正装で参列し、会友山根さんご夫妻の率いる東京パイプバンドの演奏と共に始まり、地元政官界の挨拶や祝辞が次々と続いた。スピーチの端々に、灯台への愛着や感謝が滲み出、灯台が140年の歳月を経て地場にすっかり溶け込み、貴重な“銚子文化”になっているのが伺え、嬉しかった。唯、スコットランドの名があまり聞かれなかったのは、やや寂しい思いだった。
式典のフィナーレに、仲田さんのこれまでのブラントン会の地道な顕彰活動が表彰され、また地元小学生が灯台に託す夢や希望を作文にして、投光器のタイムカプセルに挿入したが、子供たちの150周年、200周年にかける夢は一体どんなものだったのだろうか。

セレモニーが終って、帰りのバスの発車まで、各自思い思いに99階段の灯頂を究めたり、資料館を見学した。海抜50メートルの灯頂から見晴るかす大海原は、余すところ無く地球の丸みを証していた。
初点灯から今日まで、一世紀半の長きにわたって、幾多の大地震や空襲にも耐えて近代文明の灯りをともし続け、人類の進歩を促してきた犬吠埼灯台が、今もひとり毅然として蒼穹に白く屹立する姿は、生涯瞼の裏に焼きついて離れないだろう。
そして、このような遺産を日本に遺してくれたブラントンの誠実な仕事ぶりに改めて思いをいたした旅だった。
(稲永丈夫)

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