◆読書会 活動報告 2012年◆
2012年 11月15日(木) 15:00〜 参加者11名
読んだ本:
「やんごとなき読者」
アラン・ベネット著 白水社

著者は、イギリス・ヨークシャー・リースの生まれの劇作家、脚本家、俳優である。1994年にアカデミー賞美術賞、1995年に、ブリティシュ・ブック・オブ・ザ・イヤーを受賞。その他にいろいろの賞を得ている知名度、人気共に高い人である。本書はエリザベス女王が、もし読書に夢中になったら、、、というフィクションであるが、読み進む中に、本当のことかも知れないと思わせる巧みな描き方である。

女王は愛犬に導かれるようにして、バッキンガム宮殿の裏庭に来ていた移動図書館とそこに本を借りに来てきた厨房で働く少年ノーマンに出会う。そこで一冊の本を借りたことが、女王の読書の始まりだった。ノーマンは女王の小姓になり、読む本の選択に関わったり、読んだ本について語り合ったりする。そのうち女王の読書の段階が、本を読みながらメモを取るようになり、のちに自分の考えを書きとめるようになった。女王は知的な面での向上ばかりでなく、前よりも他人の気持ちを理解できるようになっている自分に気づく。人間として大きく成長した女王は、「人生を分析して、じっくり内省することで、それを取り戻す必要がある」という思いに到達し「本」を書こうとする、、、、、。欧米ではベストセラーになっている。
(担当:加藤田)
2012年 10月25日(木) 15:00〜 参加者14名
読んだ本:
「教育勅語、和文と英文」

数年前「日本人をよく知るための参考資料にでも」と会員の一人から提供された英語訳付きの教育勅語のプリントを今回読むことになった。教育勅語は明治23年10月30日に発布され、戦後の昭和23年に国会の議決によって失効させられるまでの58年間日本の教育、指導の基本方針を示し、同時にそこに述べられている徳目はまた、戦前の日本人の道徳的精神的支柱でもあった。英訳文は明治40年に世界に公表され多くの国で称賛されたという。

小・中学校で奉読された教育勅語は字数では330字、読み終えるのに2分半ほどの長さであるが、難しい漢語で、幼いときは理解できなかったが、今英訳で読むと、その内容のわかりやすさに驚いた。民主主義の今の世に、そぐわないところも多いけれども「父母ニ孝シ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信ジ云々」等、述べられている徳目の多くは、昨今の日本人の心の荒廃を見聞きするにつけ、まさに今なお“拳拳服膺”すべきものと思われた。
難しい漢語の簡潔で的確な英語訳の見事さは知的興奮を覚えるものであった。
(担当:吉田)
2012年 9月20日(木) 15:00〜 参加者11名
読んだ本:
「アラン島に消えた愛」
小林昌彦著 イーストプレス社

1970年代京都同志社大学3年生、池松徹はアイリッシュアメリカンでコロンビア大学研究員、ウイリアム・マッカーサー(ビル)と出会う。彼の影響で「アイルランド研究会」を作る。そこへ英文科2年の金井裕子(朝鮮人)が入会。人権問題、IRA、W・B・イェーツ等、勉強を広げていくうちに彼らは、アイルランドへの留学を熱望するようになる。
徹と裕子の恋愛関係、ビルの同性愛問題、ゲイ同士の殺人事件、不毛の地アラン諸島で出会った人々の生活。ケルト人の土着宗教(ドルイト教)は自然界の神を恐れ人間界と妖精の世界とのつながりを信じ、あの世での生まれ変わりを願う。日本の輪廻転生にも通じるものがある。

ラストはゲイだったビルを愛するようになった裕子、二人で訪れた常若の国の入り口とされるイニシュモア島のデューンエンガス砦で不慮の死を遂げる。

あたかもイェーツの詩「白鳥」の一節−−−
愛する人と共に白鳥になって波の上に漂っていよう、
ほうき星の光芒を見続けているのには耐えられない
地平線に低くかかった青白い星の光が僕らの心に
消えない悲しみを掻き立てるから
(担当:島越)
2012年 7月19日(木) 15:00〜 参加者10名
読んだ本:
「けっこう笑えるイギリス人」
山形優子フットマン著(新聞記者を経てフリーライターに。滞英30年)

英国のことはマナーの良い紳士の国、民主主義や福祉国家の基を築いた国等など、そこそこ知ってるつもりの思い込みがありましたが、本著を読んで目が開かれました。
30年以上の長きにわたって英国に住んだ外国人(日本人)の、しかも女性の視点で、鋭いジャーナリストの感性でえぐられたイギリス人の生活の仕方に興味を持ちました。
本著の冒頭“ごみの垂れ流し”から話は始まる。ちょうどこの本を読んでいた8月、オリンピックの開会式のイベントでコメディアンのMrビーン氏がパフォーマンスの一コマに楽器をたたきながら鼻をかんだちり紙を楽器の間にポイと捨てるしぐさをするシーンがありました。あ、なるほどこれが英国人の自然のしぐさかと納得しました。

著者は上品な英国婦人が電車の中でバナナと食べ皮を電車の床に捨てた場面に出会ったことを書いている。ごみに対する英国人の行動と日本人の感じ方の違いなど、すべてにわたり英国人の自己肯定と日本人の他人の目肯定を比べながら、面白く分かり易く英国人と日本人の行動様式を分析する。
ゆりかごから墓場までと言われた英国の福祉、医療の現場も市場経済が壊しにかかっている。めちゃくちゃで何でもありの英国ではあるが、「良識ある人」がバランスを取ってくれる国であり、「人権」は言論の自由の中で守られているという。生活感や「生死」など、英国人と日本人の違いを述べ、日本人に対しもっと目を見開いてしっかりものを見て、自分の意見をしっかり言ってほしいとカツを入れている。

海外に長く住んでいる人だからこそ、祖国を特に意識して、日本人よ、もっとしっかりして、日本人の良さをもっと発揮してと、江戸っ子流の闊達な話し方で声高に声援している。
一人でも多くの日本人に読んでいただきたい本でした。
(担当:近岡)
2012年 6月21日(木) 15:00〜 参加者12名
読んだ本:
「執事とメイドの裏表ーイギリス文化における使用人のイメージ」
新井潤美著 白水社

お堅い研究書かとためらいながら手にとったが、具体例を引いてわかりやすく、「使用人文化」なるものに関心を誘われた。ここで取り上げたのは、執事、ハウスキ−パー、料理人、メイド、従僕と下男、乳母。それぞれの仕事は細かく分けられ、管理する者とされる者の役割などが決まっている。これがイギリスの階級社会、古くから確固として動かしがたい制度と教わったものだ。
けれども、たとえば中世から伝わる「使用人の数は主人の社会的地位に見合うべき」といった考え方は、18世紀から19世紀に大きく変わったという。「経済力が許す数」が、幅を利かせ、富を堅持するためやステイタスシンボルのために使用人を雇うようになった。20世紀にはさらに職業としての変化が起き、今は古いものと新しいものが混在しているようだ。

J・オースティン書簡集などの翻訳がある著者は、文芸作品から映画まで豊富な古今の題材を持ち出して論を進める。作品の背後にある時代や社会に光をあてると、別の解釈が生まれる。使用人の生き方選びからは人間臭い問題が見えてくる。階級社会の複雑さや相反する(アンビヴァレント)価値観を知り、今までにない視点からイギリス文化を読み解けそうな気がしてきた。最後には、読書会で積み重ねてきた本を読みなおしてみたいという声まで上がり、思いがけない収穫だった。
(担当:杉山)
2012年 5月10日(木) 15:00〜 参加者8名
読んだ本:
「茨の木」
さだまさし著 幻冬舎文庫

小説家としての活動も盛んな「さだまさし」の作品である。シンガーでありソング・ライターでもあるということは、さすがに豊富な語彙となめらかな文章と物語性に富んでいるこの本でもうなずける。

この小説の主人公は男性で、父との意見が合わず家を飛び出し、あやまる機会のないまま、のちに父の遺品であるヴァイオリンが兄から送られてくる。偶然気が付いたヴァイオリンの作者名を訪ねて、ロンドン、湖水地方経由スコットランドのグラスゴーまで旅するという設定である。
物語は、主人公の離婚、兄の病気、国際的な人種差別の問題など様々に展開するが、底に流れる家族の強いきずなを感じさせる。中でも、父親が主人公やその兄に折々に書かせた「契約書」がとても面白く、ユーモアとともに、ほほえましい家族愛の証として物語のアクセントになっている。それは作者の作詞の主題にもよくあらわれる特徴のように思われる。
(担当:山崎)
2012年 3月22日(木) 15:00〜 参加者9名
読んだ本:
「少年シギー」−小さな村の物語−
スーザン・レナード著 山田修訳 あるば書房

スコットランドの北、オークニー諸島の中の小さな島の農業部落に住む少年シギーの第二次大戦後の一年余にわたる物語。

愛する父を交通事故で突然無くしその悲しみと向き合い、後から来た父親に反感を抱きながらも悲しみを共有している祖母との心のつながり、いたずらざかりの友との友情、大人たちの農業共同体の絆の中で徐々に彼が成長していく姿が描かれている。
小さな村の穏やかな時の流れの中で生活している人々の悩みや悲しみ喜びを感情豊かに描き、読後ほのぼのとしたしあわせを感じさせられた。

「忘れなければならないから忘れる。忘れたいからといっても忘れられない。」57頁。
誰もが悲しみに向き合って超えていかなければ強くなれないと言うおばあさんの言葉が、いま日本に同じ悲しみを持つ人たちが大勢いることと重ねあい強く胸に残った。

訳者の山田先生がご出席くださりこの本との出会い、本文では詳しく書いてない教育制度、貨幣制度なども詳しくお話しいただいた。訳者を囲んだ贅沢な読書会だった。
本の表紙の写真が素敵だと好評だった。
(担当:大前)
2012年 2月16日(木) 15:00〜 参加者10名
読んだ本:
「忘れられた日本人」
宮本常一著 岩波文庫

あとがきによると、本書の大半は雑誌『民話』(「民話の会」の機関紙)第3号から隔月に10回、「年寄りたち」と題し、連載したものに手を加え、まとめたもので、宮本民俗学の代表作と評価されている。著者は健脚と鋭い観察力と確かな記憶力を武器に全国を歩き、古老たちから聞き書きして記録に残した。
本書には、明治、大正、昭和にわたり、歴史の表舞台には顔を出さない庶民が登場する。

「一体進歩とは何か、発展とは何か、すべては進歩するのか、停滞し、退歩し、同時に失われつつあるものが多いのではなかろうか。生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめるのではないか。進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めていくことこそ、われわれに課された重要な課題ではないか。人間にとって何が進歩であるかの反省は絶えず必要である。」という著者の言葉は、3・11の大震災と原発の事故に出あった後だけに、いっそう心にひびく。

参加者がそれぞれ、読後感を出し合った中から、幾つか紹介してみよう。
@ 著者の文筆力はきわめて優れている。文学的だ。
A 外国の本を読んだ以上にショックを受けた。登場人物がみな人格者で、「忘れられた日本人」とあるが、私たちが「忘れてはいけない日本人」と受け止めた。
B 行政マンの、ある職場では、必読書として推薦された、と聞いたことがある。など。
著者の自伝的作品である『民俗学の旅』(文芸春秋)を読むと、本書と合わせ鏡のようで、各作品の動機や背景がわかり、いっそう宮本ワールドに分け入りたくなる。
(担当:西田)
2012年 1月19日(木) 15:00〜 参加者7名
読んだ本:
「サキ短編集」
サキ著 中村能三訳 新潮文庫

本書には、21編が取り上げられているが、サキは短編を全部で135話書いている。訳者 中村能三さんの解説によると、サキは本名をヘクター・ヒュウ・マンロウと言い、1870年父がビルマの警察の長官だった時に生まれている。母が二歳の時亡くなったので、故国イギリスへ帰され二人の伯母の厳格な監督の下で教育された。
この子供時代の生活が、彼の人間形成、作家としての形成に大いに影響を与えたと思われる。1893年23歳のとき13ヶ月ビルマ警察の仕事に携わったが、結局ロンドンで本格的な文筆業を始める。1902年「モーニング・ポスト」紙の海外特派員になり6年間をロシア、バルカン諸国、パリで過し、その後1916年フランス戦線において46歳で戦死している。

サキの妹が書いた伝記によると、彼の性格を★気まぐれ ★ユーモア ★動物に対する愛情 ★スコットランド高地人であるという誇り と言っている。
確かに、どの作品も、最後の3〜4行でどんでん返しの結末を見せ、短編ならではの風刺、ユーモア、残虐さを際立たせている。

これらの作品の中で特に、オオカミに残虐な役を担わせているが、これは動物に対する愛情という様なものでなく、突き放した動物と人間を向き合わせているのではないだろうか?
違った形での残酷さと言うことで、個人的には『ある殺人犯の告白』を挙げたいと思う。話の流れから結末に行く過程の恐怖感と残酷な結末が、重たいユーモアとして心に残る作品である。このサキの残酷、非情さが読者にはほのぼのとした人間味や運命や生活の厳しさを感じさせてくれると言うことだが、簡単には理解の出来ない世界を描いていると思う。
米英では、サキと同じくらい愛読者を持つ、O・ヘンリの作品と舞台 登場人物 筋書き 結末までも近いが、二人の作家の違いはハッキリあるという。
O・ヘンリを読んで、二人の作家の違いを感じ取りたいと思った。

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