◆不思議の国ブリテン 2009年◆
【第6回】 2010年11月15日(日) 参加者15名
講師:難波茂信さん
テーマ:「スコットランドの歴史・地理・旅の魅力」

「不思議の国ブリテン」は斎藤公江先生による英国文化探求の連続講義ですが、今回はスコットランドの歴史・地理・旅の魅力ということで、日本スコットランド協会関西支部の難波茂信さんが担うことになりました。
まずは連合王国の国歌「God Save the Queen」が紹介されました。この国歌の歌詞は実は6番まであり、そこにはなんと「反逆せしスコットランド人を破らしめむ、神よ女王をまもりたまへ」というフレーズがあるのです。1745年のジャコバイトの乱のときに作られたこの歌詞は、現在も変わっていません。一方、スコットランドでもサッカーやラグビーの代表チームの「国歌」には現在「Flower of Scotland」が歌われており、そこでは「エドワード軍への決死の抗い」が繰り返されています。これは1314年のバノックバーンの戦いに歌材をとっているとのこと。
今なお続くこのようなイングランドとスコットランドとの確執は、ダリエン計画の失敗(1695年〜1700年パナマへの植民地計画でスコットランドの国富の三分の一〜半分を失う)と、その後の1715年と1745年の2回にわたるジャコバイトの乱とその戦後処理の過酷さに深い要因があるというのが、難波さんの論旨でした。
パワーポイントでの発表
会場の雰囲気
次に地理の話ですが、4億年前の地球ではブリテン島は南半球にあり、そして200万年前にようやく現在の位置に動いて来たとのこと。その間に、やがてハイランドの景観を生み出すことになった氷河にブリテン島全体が覆われていた時期があり、従ってネッシーの現存は物理的にどうだろうかという説に、すかさずフロアから「いえ、ネッシーは存在するのです」という斎藤先生の声が上がりました。ネッシーは人類の夢なのでしょう。
映像を駆使した難波さんのスコットランドの話はここでは書き切れぬほど多岐を極め、特にゲール語から見たスコットランドの考察は、端倪すべからざるものでした。

その後が待望のお茶の時間で、斎藤先生ご自作の「ポークパイ」の登場となりました。先生が3日がかり?で作られた本格的なもので、その香り、食感、味わいは本当にすばらしいものでした。先生どうもありがとうございました。
そして、このブリテンの講義は、次回ウェールズへと進んでゆく予定です。
(香川久生)
ポークパイの説明をされる齊藤先生
立派なポークパイ
ポークパイを切ったところ
紅茶と一緒にいただきました
【第5回】 2009年9月20日(日) 参加者14名
講師:齋藤 公江さん
テーマ:「産業革命から取り残された地域 コッツウォルズの歴史と羊毛業」

9月20日に第5回「不思議の国ブリテン」が開催されました。
今回は、先日のアフタヌーンで講師を務めていただいた香川ヒサさん、そして、ご主人さま(新しく関西支部のスタッフに加わってくださっています。)も参加され、そして、この夏にイングランド、スコットランドへ旅行され、ぜひ参加したいという、若い女性の参加もありました。

コッツウォルズ、私はまだ訪問した事がないのですが、羊毛産業の貢献がとても大きい事を教わり、まさしく、コッツウォルズの富は羊からと言った感じを受けました。
映像をいつも担当してくださっている難波さんからのGoogle Earth での迫力ある映像の提供、もちろん、齊藤先生ご提供のDVDからも美しい景色を十分に堪能できました。
特にコッツウォルズの羊毛は、毛足の長い、上質な羊が多いそうです(ローマ人が羊を連れてきた可能性が高いそうです)。ただ、今では、その羊毛産業はマンチェスター、バーミンガムに生産が移ったそうですが、食用としては、利用されているようです。

そういえば、先日、ニュージーランド産のラムは、あるドイツレストランで食べたのですが、コッツウォルズの羊は、どんな風味なのかと、残酷な事を思ってしまいました。スコットランドの羊のお味は天下一品と、スコットランドマニアは、おっしゃっておりましたが。

講話がおわり、今回も齊藤先生手作りのお菓子とお茶の時間。
りんごのクレープノルマンディとガレットブルトンヌ(ポテト)の2種、もう、至福のときですね。
齊藤先生のレシピのレパートリーは、無限大?
齊藤先生、今回もありがとうございました。次回もよろしくお願いします。
講義をされる齊藤先生
りんごのクレープノルマンディ
ガレットブルトンヌの具 →
巻いて食べます。おいしい!
「産業革命から取り残された地域 コッツウォルズの歴史と羊毛業」要旨

イングランド二大観光地のひとつ、コッツウォルズは古くからのうつくしい村々が今もそのままの姿で点在する地域として有名です。英国の富を築いた羊毛産業の盛んな地域で、羊の飼育と家内産業としての織物業が営まれていました。しかしマンチェスターやバーミンガムに生産の拠点が移され、羊毛産業は終焉を迎えましたが、今でもアーツ・アンド・クラフツのセンターとして、様々な手工業が残っています。
また、この地域の歴史は長く、政治の中心地であり、羊毛商人が築いた富は各地に高度な文化をもたらしました。そこで、政治、産業、文化の各側面からコッツウォルズを考えます。また、ウェスト・カントリーとの関係からもこの地域は重要で、両地域はケルト的側面からもっと研究されるべき場所です。
(齊藤公江)
【第4回】 2009年7月19日(日) 参加者12名
講師:齋藤 公江さん
テーマ:「修道院解体と『廃墟の美』」

離婚したいがため、カソリックから離れて英国国教会を作ったという王様がいたと聞いてはいたが、そんな単純なものではないことを学んだ。ヘンリーVIIIは大変語学に堪能で、博識だった。ローマの教皇庁から離婚問題で破門させられた後、典礼に異議はなかったものの、時代の流れをみて、教会財産欲しさに修道院を潰してしまったという。
英国の修道院の歴史は6世紀末で、大変古い。齊藤先生がそのいくつかの廃墟をDVDで紹介。それらは、19世紀になって「廃墟を美しいと思う風潮」が英国で生まれ、ターナーやワーズワース達の題材となった。英国風「侘び」の世界なのでしょうか。(後述の要旨参照ください)

毎回、ブレーク時に先生特製のケーキが楽しみ。今回は、フルーツがミックスされ、底のほうには「あずきアン」入りの冷たいヨーグルト。それに、次回の英国料理教室で作る予定の、サーモン入りサワークリームを挟んだスコーン。いただきながら、質問、知見披露がにぎやかにあった。ホームページを見て、参加されたという女性もいて、企画側としてはうれしい限りだった。
会議室風景
今回も激ウマでございます
「修道院の解体」要旨

16世紀にヨーロッパ各地に台頭した宗教改革の波は英国にも波及し、ヘンリーVIIIの離婚問題とも並行してローマ法王庁から離脱し、プロテスタント国として、新たにヘンリーVIIIを頭首とする英国国教会が設立された。それに伴い、イングランド、ウェールズ、アイルランドの825の僧院、尼僧院、托鉢修道会の財産は没収され、建物は破壊され、廃墟と化した。
こうした僧院財産没収という事態は、プロテスタント国となった他の国々とも異質の、英国独自の結果であった。しかし19世紀「ロマンティシズム」の台頭とともに、廃墟に対する哀惜の念は、極めて英国的な抒情感を生み、画家や詩人などがこぞって廃墟を訪れ、「廃墟の美」という新たな感情を生みだした。
(齊藤公江)
【第3回】 2009年5月17日(日) 参加者13名
講師:齋藤 公江さん
テーマ:「英国とフランスは犬猿の仲?『バイユーのタペストリー』が語るもの」

「不思議の国ブリテン」と題する連続講演シリーズの第3回です。
講師は、同様にUKのナショナル・トラスト協会、ウイリアム・モリス協会の会員であり、そして大阪芸術大学准教授として英文学を教え、もちろん日本スコットランド協会の会員であるという齊藤公江先生です。

この日、関西地区では新インフルエンザが急速に広がっているニュースでもちきりでした。
会場の都合でここ西宮にした経緯があったのですが、もし芦屋にしていたら今日は突如休館という事態に面していました。だからラッキー!?

内容は下のレジュメを読んでいただくとして、参加者からは、いつものように英国への人種流入経緯、ケルトとの関係、言葉の関係、30年ほど前にフランス人が英国人をちょい馬鹿にし、英国人が劣等感を持っていたなど、種々の話が飛び交いました。やはり、長い複雑な関係をもつ英仏の関係は本当に仲の悪い、犬と猿なのか。でも国として、フランスは何かがあると最初に英国とまとまるとのこと。いやあ、複雑です。

途中から、先生が腕をふるったケーキ(名前を忘れました)、やはり美味しい、を紅茶と共にいただきました。
齊藤先生が準備してくださったケーキ
今回も激ウマでございます
熱心に説明する齊藤先生
こちらも熱心な参加者の皆さん
「英国とフランスは犬猿の仲?−バイユーのタペストリーが語るもの」(要旨)

アングロ=サクソンの王位継承権をめぐり、血縁関係を持つノルマンディー公国とイングランドとが争い、ヘイスティングの戦い(1066)でブリテンの王として、ノルマンディー侯爵、ウィリアムが勝利する。この時点から、英国とフランスの密接な関係が生じ、後に百年戦争にまで発展。戦いの模様はバイユーのタペストリーに詳しく、刺繍による絵巻物としてつづられているが、そのタペストリーをめぐり、制作地や制作者などの点で議論がたえなかった。バイユーのタペストリー・ミュージアムで撮影された映像を見ながら、問題点を探る。長い複雑な関係をもつ英仏の関係は本当に仲の悪い、犬と猿なのか。人種問題をも含めて考えてみたい。
(齊藤公江)
【第2回】 2009年3月15日(日) 参加者14名
講師:齋藤 公江さん
テーマ:「ローマ帝国の最北端『ブリタニア』 ローマ人たちの落し物はいくつ?」

「不思議の国ブリテン」と題する連続講演シリーズの第二回です。
講師は、前回同様にUKのナショナル・トラスト協会、ウイリアム・モリス協会の会員であり、そして大阪芸術大学准教授として英文学を教え、もちろん日本スコットランド協会の会員であるという齊藤公江先生です。
前回の「イギリス?そんな国はないんです」では、おもに「ケルト人」の時代の英国について講義をいただきましたが、今回はその次の時代、ローマ帝国が英国を支配していた時代についての講義をしていただきました。

最初にDVDが映らないというトラブルがあって、急遽皆さんには先生に準備していただいたお茶とケーキで休憩していただくということになってしまいました(不手際でもうしわけありませんでした)。でも、このケーキがとてもおいしいのです。講義以外の楽しみもできてしまったりします。
講義中の齊藤先生と参加された皆さん
先生が準備された資料
ローマ時代の影響・遺跡について、DVDと資料で丁寧に説明してくださいました。
その中で、コッツウォルズのサイレンセスターやバースなどのローマ時代からある街についてもその由来、変遷などを丁寧にご紹介いただき、どうして温泉がでるの?なぜいまは温泉にはいらないの?などの質問もでて、地名やその発音などについても議論が盛り上がりました。

齊藤先生によれば、地震のない国として知られる英国ですが、先日、非常に揺れの小さい地震があったのだそうです。
英国人はびっくりしたのでしょうが、そういう震源がまだあるということはバースに温泉がでる理由でもあるわけです。

次の講義とケーキがいまからとても楽しみです。
【第1回】 2009年1月18日(日) 参加者20名
講師:齋藤 公江さん
テーマ:「イギリス?そんな国はないのです」

「不思議の国ブリテン」と題する連続講演シリーズが始まりました。 UKのナショナル・トラスト協会、ウイリアム・モリス協会の会員であり、そして大阪芸術大学准教授として英文学を教え、もちろん日本スコットランド協会の会員であるという齊藤公江さんがスピーカーです。

まずはイントロとして、齊藤先生に指名を受けて、 JSS関西の誇る頭脳・難波さんが英国人の先祖がどこからやってきたかを科学的に説明しました。人類発生の時期、ミトコンドリアDNAという母系だけに遺伝される遺伝子と男性だけに伝わるY染色体の分析で判明している人類移動の歴史など、まるで学会の発表みたい。みんな感動で目をぱちくりでした。

今回の先生の話は、最初ですので、英国がいかに複雑な歴史、人種、言語の集合体であるかの分かりやすい説明だったかと思います。そもそもタイトルが「イギリス?そんな国はないのです」でした。確かにイギリスはイングランドから来ている呼び方でしょう。だからブリテンと英語でいうのがまあ適当かな。UNITED KINGDOMつまり連合王国がいいのだろうか。そんなところから スタートしました。

難波さんの説明と重なりましたが、英国には”今のケルト系の人々”が大陸から押しやられてきたのではなく昔から居たことや、サクソン系の人々もアングロサクソンよりずっと以前からブリテンにはいたこと。そして大陸からいろんな民族が移住してきたことの説明がありました。もとはケルトのお祭りだったのか、祖先の霊、妖精が集合するというコーンウォール地方の宗教的なお祭りをパソコン動画で見ました。オックスフォード大のあるカレッジの綴りとその発音がまるで符合しない、だから地名の発音はどうしようもないのが多いのだと。
傑作だったのは民族性の違い。イングランド旅行中に瓶のふたがなかなか開けられなかったことがあった。何度やっても開けられなかった。それでとうとう諦めた。そしたらイングランド人がそっとやってきて「開けてあげましょう」といって、開けてくれた。イングランド人は見ていないのではなくて、じっと見ているんです。そしてとどのつまり助けてくれる。でもスコットランド人だったら、最初に飛んできて「開けましょう」といいますよねえ、でした。

講演の途中、先生が作られた本当に美味しいケーキを紅茶と共に頂き、素晴らしい日曜の午後でした。

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