スコットランドを語る会 第106回

発表者:田島恭子さん
テーマ:「スコットランドの世界遺産と、ゆかりの人々」

今後は増えるだろうが、現在、スコットランドの世界遺産は、次の六箇所である。

1.「セント・キルダ」 複合遺産 1986年登録
北西部離島群アウター・へブリデイーズ諸島の最西端離島群で、壮大な崖地もあり、紀元前2000年頃の人類居住の痕跡が残る。新石器時代や鉄器時代に飼われた羊種、希少な海鳥も繁殖している。
人口は、1697年の180人が最多で、減少し続け、1931年に住民30人全員が強制移住させられ、無人島になった。1957年から、ナショナル・トラスト・フォー・スコットランド(NTS)が、村の改修と保全を開始。
1980年には、教会堂や学校も復元。今はNTSの管理人が常駐し、観光客は申告制で、環境が厳しく守られている。

2.「オークニー諸島の新石器時代遺跡中心地」 文化遺産 1999年登録
北東部離島群オークニー諸島のメインランドに、中石器時代の流浪部族、新石器時代に定住した部族らによる、紀元前3100年頃からの巨石遺跡が多く残る。半地下の集合住居「スカラ・ブレイ」、墓「メイズ・ハウ」、環状石柱「ストーンズ・オヴ・ステネス」と「リング・オブ・ブロガー」など。近年、さらに発掘が進むが、まだ謎も多い。
軍事基地となり、1939年に英国軍艦がドイツのUボートに撃破され、ウィンストン・チャーチルが、防御線の建設を計画し一部完成。イタリア人捕虜による教会堂が残る。またUボートも多数撃沈され、日本の軍人達も、島沖合で戦死したそうだ。人口は約2万人。

3.「ローマ帝国の国境線」 文化遺産 2008年登録
紀元前55年にカエサル軍が東海岸に侵攻、紀元後78年には、アグリコラ総督が北部に侵略し、北部の住民との闘いが熾烈となった。それでハドリアヌス帝が122年に「ハドリアヌスの長城」 (現在は、イングランドに属す) を築いた。さらに北上したアントニウスピウス帝が、144年までに「アントニヌスの長城』を築いた。164年には、ローマ軍が南下。208年セウルス帝が、インバネスの北東部マレー湾まで北上し、ピクト人と和睦。その後、ローマ帝国が東西分裂し、410年にローマ軍が、ブリタニアから撤退した。
いずれの長城も荒廃したが、一部修復された。今でも、当時の事物などが、発掘されて出てきている。

4.「エディンバラ旧市街と新市街」 文化遺産 1995年登録
首都エディンバラには、中世以降の旧市街と、それが手狭になり、新設された18世紀からの新市街が、両方とも残っている。
11世紀からの城内で、一番古い建物は、12世紀の王妃を偲ぶ「聖マーガレットチャペル」で、後世、日本の立教女学院チャペルに継承されている。
城と宮殿を結ぶロイヤルマイルには、16世紀の宗教改革者ジョン・ノックスの家や商店ビルなども残る。セントジャイルズ大聖堂、ホリールード宮殿などは、17世紀に拡大されて、今も王族が使用する。ジョージ3世時代には、産業革命で栄え、1776年に新市街のコンペを行い、ジエイム・スクレイグの案が採用され、建設が始まった。その後、19世紀中頃まで、周辺に広がり、今に至る。
西側シャーロットスクエアの北面ファサードは、地元出身でイングランドでも大成功したロバート・アダムによる。1975年よりNTSの本部となり、修復され公開されている。隣は1999年より、スコットランド首相の公邸となった。
尚、日本からは、1872年岩倉使節団が周辺視察で訪れ、その後、徳川家達が英語研修で滞在した。

5.「ニュー・ラナーク」 文化遺産 2001年登録
グラスゴー近郊の川沿いに、ロバート・オーウエンが、世界に先駆けて実践した理想工場村。労働者たちが安心して働けるよう、集合住宅、幼稚園、医務室、共同購入の店舗(coop)、信用組合、カルチャースクールなど、待遇の良い環境を作り上げ、世界中に影響を及ぼした。その後、綿工場は廃業し、長らく廃墟となっていたが、近年、集合住宅、ホテルや店舗、博物館などとして再生。

6.「フォース橋」 文化遺産 2015年登録
エディンバラと北部を結ぶ鉄道橋。画期的な設計は、ジョン・ファウラー&ベンジャミン・ベイカー工務所で、日本の工部大学校からグラスゴー大学土木工学科に留学した渡邉嘉一も関わった。着工は1882年で完成は1890年。
カンチレバー(片持ち梁)方式の斬新な構造で有名となり、その後、世界中に影響を与えた。かなり傷んでいたが、近年、大規模な修復で甦った。

(田島恭子)