◆スコッツマンを読む会 活動報告 2022年◆
2022年4月2日(土) 15:00〜
1)2022年2月28日付
Ukraine-Russia conflict: Oil tanker cancels Orkney visit after Russian ships denied access to UK ports | The Scotsman
「ウクライナ・ロシア紛争:ロシア船舶が英国の港に入ることを拒否されて、石油タンカーはオークニー寄港をキャンセルする」

ロシア船舶は英国の港に入ることはできないと通告されて、石油タンカーはもはやオークニーに停泊することはない。

グラント・シャップス英国運輸大臣は、その措置はウクライナ侵攻に伴うウラジーミル・プーティン体制に対する、継続中の制裁の一部である、と発表した、その決定はスコットランド首相ニコラ・スタージョンによって歓迎された。首相は以前そのタンカーに寄港してもらいたくないと語った。タンカーNSチャンピオンは、火曜にフロッタ島(訳注)のオイルターミナルに着く予定であった。
フロッタ島:オークニー諸島のホイ島とサウス・ロナルドシー島の間の小さな島。
写真:キーズ・トーン/ウィキメディア・カマンズ
ロシアのタンカー、NSチャンピオンは火曜にオークニーに着く予定であった。
その船は大半をロシア国家が所有する会社、ソフコムフロット海運会社所属である。オークニー諸島議会はその船を停泊させないようにする力はないと言っていた。
英国のすべての港湾宛の書簡において、シャップス大臣は、海運部門はロシア制裁において「自分の役割を果たすことを」しなければならない、と述べ、さらに書いた。
「ロシアのウクライナへの攻撃は、主権民主主義国家に対する、いわれのない、計画された攻撃である。ロシアのウクライナへの軍事的侵攻は、とてつもない結果になるだろうし、厳しい損失を伴うだろう、と英国政府は明らかにしている。そして、われわれの国際的同盟国やパートナーと連携して、われわれは今までにない、さらなる制裁を策定中である。海運部門は国際貿易にとっては不可欠なものであり、われわれはロシアの経済的利益を制限し、ロシア政府に責任を求めることにおいて、自分の役割を果たさなければならない。このような状況では、運輸省はロシア船舶が英国の港湾に入ることは適切ではないと考える。今後、ロシアと関連する何人かが所有し、管理し、チャーターし、また操業すると信じられる船舶を、指名された人物が所有し、管理し、チャーターし、また操業すると信じられる船舶を、またロシア国旗掲揚の船舶、ロシア登録の船舶を、英国の港湾に入港させないように要請する。われわれは、上記の範囲内のロシア船舶の確認で英国港湾を助け、上記の範囲内の英国港湾に向っている船舶を確認次第、関連の港湾に直ちに知らせる。ロシア船舶に対するさらなる具体的な制裁は目下策定中であり、さらなる詳細についてはすぐにお知らせする」

スタージョン首相はツイートした。「これはいいことである。ロシア船舶のオークニーへの寄港予定につき、昨夕、グラント・シャップス大臣と建設的な話をした。より長期的な法令が発効するが、わたしはこの方法を歓迎する」
オークニー諸島議会代表(訳注)のジェームズ・ストッカン氏は語った。
「週末、われわれ共同体ばかりでなく、われわれの組織の隅々まで強く存在する気持ちを支援するために、幹部たちはタンカー寄港の解決策を見つけようと精力的に話し合いました。
ストッカン氏の役職Orkney Islands Council leaderについてはオークニーのジョンストン由香さんに問い合わせて「オークニー諸島議会代表」としました。
今日の午後の英国政府運輸大臣からの告知を歓迎しました。まさにこれは、この何日かわれわれが検討してきた解決策の一つであったからです。その告知のあと、タンカーの代理人から寄港を取りやめるという知らせが入りました。今回は大変複雑で、展開の早い状況でしたが、結局、可能な限り最良の解決策をわれわれは達成したのです。この結果に寄与された諸氏に感謝申し上げます。さらに、この問題に対し、われわれの驚くべき共同体各位がされましたことを大いに評価して、共同体の皆様に心からの謝辞を述べたいと思います」
2022年3月5日(土) 15:00〜
1)2021年1月27日付
Letter written by Mary Queen of Scots to French ambassador up for sale
「スコットランド女王メアリーがフランス大使宛に書いた手紙が競売にかけられる」

その手紙は、14,000ポンドから18,000ポンドで売れるだろうが、メアリー女王からイングランドのフランス大使に、スコトランドの貴族、ジョージ・ダグラスのフランスへの安全な通行を認めるよう依頼するものであります。
それは1568年5月2日パースシャーにあるロッホ・レーベン城からの逃亡の後2か月してカーライル城にて書かれました。ロッホ・レーベン城では、メアリー女王は幼年の息子(満1歳)ジェームス6世のために強制的に退位させられた後およそ1年間投獄されていました。
メアリー女王は、ジョージ・ダグラスのためにフランへの安全な通行を保証することを手助けすることによって、彼が彼女のためにフランス王に彼女の自由を保障するようにとりなすことを願ったのでした。
来月競売にかけられるスコットランドのメアリー女王の自筆書簡と
ライオン・アンド・ターンブル社のキャシー・マースデン
その手紙はエジンバラに本社のある美術品競売会社、ライオン・アンド・ターンブル社によって2月2日(水)にオークションとオンラインによって競売されます。キャシー・マースデンはライオン・アンド・ターンブル社の稀覯本、原稿、地図の専門家ですが、次のように言いました。
「メアリー女王の自筆の手紙が競売にかけられることは珍しいことです。このようなもろくなっている手紙を保管することは本当にたいへんなことです。(この手紙には)秘書官によって書かれた12行の文とメアリー女王自身の手によって付けくわえられた6行の文があります。その手紙には、『あなたの非常に親しい友人、メアリー』とフランス語で書かれています。歴史上のメアリー女王の特異な立場を考慮に入れれば、我々はこの競売に多くの興味がもたれるものと予想しています」
その手紙では、駐イングランドフランス大使に手紙の持参者のジョージ・ダグラス、に、金貨300エキュを貸すとともにフランス王家と相談してジョージの安全な通行の保証を求めています。ロッホ・レーベンからのメアリー女王の逃亡はジョージ・ダグラスと彼のいとこウイリアム・ダグラスの助力がありました。メアリーは、彼女のいとこであるエリザベス1世による保護を求めてイングランドへ行ったが、カンバーランド副総督リチャード・ラウザー、によってとらえられ、カーライル城に護送されました。
メアリー女王は、44歳で1587年2月8日ノーサンプトンシャーにあるファザリンゲイ城で首をはねられる前まで、エリザベス1世により19年間幽閉されていた。彼女の生涯、結婚、家柄、エリザベスに対する陰謀に巻き込まれたとされているが、その後の処刑などによって、メアリー女王は(周囲に)不和の種を生みだし、加えて高度にロマンティック化にされた歴史上の人物として(の見方)が確立されました。
(訳注)この手紙は、32,500ポンド(約500万円)で落札されました。
2022年2月5日(土) 15:00〜
1)2020年1月6日付
Ministers back Tory MP calls for BBC to play UK national anthem more
「BBCが英国の国歌をもっと演奏するよう求めた保守党議員を閣僚は支持」

閣僚は、BBCに英国の国歌をもっと演奏させようという保守党議員からの呼びかけを支持するようだ。
英国国会のアンドリュー・ロジンデル保守党議員は木曜日に議会で、国営放送局は毎日番組終了時には国歌を演奏するべきであると語った。ロジンデル氏は下院で次のように語った:
「私は国歌斉唱が我が国への大きな一体感と誇りを提供するものであることに文化省の政務次官が同意するものと思います。女王の在位70周年の今年こそ、政務次官は公共放送局が国歌を演奏することを奨励し、BBCがニュース24に切り替える前に、その日の番組の終わりにその習慣を確実に復活させるための措置を講じてくださいませんか?」
ナディーン・ドリーズ英国文化大臣が、ロジンデル氏が質問を終えると、「素晴らしい」と言っているのが聞かれた。クリス・フィルプ内務省政務次官は賛成意見に付け加えた。
「私たちは、国歌の斉唱、女王陛下、さらにユニオンジャックの掲揚などの愛国心の発揚を完全に支持します。率直に言って、私たちがこの分野でできることが多ければ多いほど、学校のような組織で国歌を聞くこと、国歌が歌われるのを聞く機会が多くなればさらに良くなるでしょう」
スコットランド国民党の院内総務であるピート・ウィシャート議員は、保守党議員たちを「時間を無駄にしている」と非難して次のように語った:
「スコットランドの人々は、保守党の(政策がもたらした)生活費危機に対して英国政府が全く何の取り組みもしていない。英国の壊滅的な危機に直面しているのに、保守党議員たちはBBCに繰り返し国歌を演奏させようとして時間を無駄にしています。4月から、平均的な家族は、保守党の(予算)削減、逆進的な増税、高騰するインフレ光熱費の請求書などの結果として、年間1,200ポンドを失うことになります。これは、スコットランドと英国全土のすべての家族に影響を与える問題です。保守党が、家計所得を引き上げ、英国政府の支配下にある貧困と不平等の恐ろしいレベルを逆転させるべく重い腰を上げて支援を提供すべき時に、壊れたレコードのように過去の時代に戻って時間を無駄にしているということは信じ難いことです。英国政府は修理不可能なほど壊れており、これまで以上に実態を把握していないように見えます。スコットランドが独立した国になり、英国政府から永久に脱出するのが早ければ早いほど、より良いのです」
質疑応答の他の場所では、保守党のクリストファー・チョープ元(運輸)政務次官が、BBCがテレビの受信料を支払っていない75歳以上の人に対して制裁を課するBBCの権限を取り除くようにと英国政府にせまった。
ドリーズ大臣は、問題は「しっかりと審査をしている最中で検討中です」であると言った。
英国国旗、スコットランド旗、EUの旗がエディンバラの
スコットランド議事堂の外にひるがえる。(写真:PA)
(訳注)記事中のsecretary, minister の訳語については下記のサイトを参考にしました。
政務次官 (イギリス) - Wikipedia
2022年1月8日(土) 15:00〜
1)2020年11月24日付
St Andrew's Day 2021: Who is Saint Andrew? Why Scotland celebrates St Andrew - and what happened to his bones?
「2021年聖アンデレ(英語読み:アンドルー、以下同様)の祝日:聖アンデレとは誰ですか?なぜスコットランドは聖アンデレを祝うのですか - そして彼の遺骨はどうなりましたか?」

聖アンデレの日に、スコットランドは守護聖人を祝います。聖アンデレが誰であるのか、何故スコットランドで彼を祝うのか、聖アンデレの遺骨が現在どこにあるのかについて、あなたが知る必要のあるすべてを紹介します。
毎年11月30日に開催される聖アンデレの日は、守護聖人を記念する日であり、スコットランド人がスコットランドの伝統と文化の中心に存在する守護聖人を祝う日であり、スコットランドのX十字の旗からセント・アンドルーズ大学に至るまで、あらゆる場所で聖アンデレの存在が見られます。しかし、使徒はガリラヤにルーツを持つということ、と世界中の国々でのパトロンとしての支援は、聖アンデレとスコットランドとのつながりについて依然として多くの混乱を引き起こしています。
セント・アンドルーズ大聖堂:セント・アンドルーズ、ファイフ
聖アンデレとは誰ですか?
使徒アンデレとして知られる聖アンデレは、ローマ帝国の支配下にあった紀元5年から10年の間に、イスラエルのガリラヤで生まれていたと信じられています。新約聖書によると、アンデレと兄弟のシモン・ペテロ(聖ペテロ)は、イエスから12人の使徒あるいは弟子のうちの2人に加わるようにとの呼びかけを受けるまで、漁師として働いていました。『ヨハネによる福音書』は以下のように記しています。アンデレがイエスに合流する以前に、洗礼者ヨハネの弟子として最初に声をかけられていた、と。イエスとその弟子たちについての新約聖書に出てくる多くの物語と聖典の中で、アンデレは、イエスに付きしたがい布教に突き進む最も重要な使徒の一人として登場します。Xの形をした斜めの十字架によるアンデレの磔刑は、ギリシャにおいて、紀元60年11月30日と想定される日に、ローマ人の手によって執行されたのであり、彼の死の形こそスコットランドの旗の起源であり、別名聖アンデレ十字として知られています。この聖アンデレの殉教のシンボルは、中世に至るまで完全に確立されていたとは限らないと考えられます。
スコットランドで聖アンデレの日を祝うのはなぜですか?
聖アンデレの日は、いくつかの理由で毎年11月30日にスコットランドで祝われていますが、いずれも完全に裏づけられているものはありません。“聖レグルスの航海”の伝説によると、聖アンデレのスコットランドとのつながりは、聖アンデレの遺骨を持って、聖レグルス(英語読み:ルール)(ギリシャ、パトラスの司教)がスコットランドの東海岸に危険に満ちた状態で逃走し、ファイフに残したことにより確固たるものになりました。
スコットランドのピクト人の王アンガスは、聖人に敬意を払ってセント・アンドルーズに修道院を建設しました。その聖人は、アンガス王の夢に現れ、その後のサクソン人との戦いで彼を勝利に導いたのでした。
この物語にはいくつかのバリエーションがあります。そのひとつは、アンガス王は戦いの朝の空に十字架を偶然見ました。それは聖アンデレから、サクソン人に勝利するのを助けるというメッセージでありました。
別の物話として信じられていることは、アンガス王が聖アンデレに救いを求め、もし自分を勝利に導いたならば、スコットランドの守護聖人としてこの国での守護を約束するというものでありました。
いずれにせよ、物語は、戦いの朝の太陽のまばゆいほどの光の中で、アンガス王が聖アンデレ十字に出会ったことがピクト軍に自信を与え、サクソン軍に勝利を収めるに至ったのでした。
聖アンデレの聖アンデレ十字は、それ以来スコットランドの国民的象徴に根付いてきていますが、ともかく1320年のアーブロースの宣言をもってスコットランドの守護聖人として至極当然のこととして確立されたのでした。
ロバート1世とスコットランドの貴族たちは、聖アンデレを聖ペテロの兄弟であるとともにスコットランドの守護聖人として戴き、教会の基礎を築く責任を担うことで、スコットランドの独立およびイングランド王のスコットランド所有権の主張から守られる権利を認められるようにと、教皇ヨハネ21世に訴えようとしました。

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